ブロンODのすべて

目次

 

 

はじめに

インターネットを見ていると、ブロンODについて様々な解説記事がありますが、少なからぬ誤りを含んでいます。またその説明は断片的であり、総体的にまとめた記事というのは見たことがありません。ここでは現在手に入るブロンODについてのあらゆる情報をまとめ、わかりやすい形で提示するつもりです。

そのため、8000字程度という長めのブログ記事になりました。「ブロンとはなんぞや?」といった事から知りたい方はこのまま読み進めてください。ブロンODの作用などを知りたいだけ、といった方は目次よりそれぞれの項目へお進みください。

 

 

市販薬ODの王者、ブロン。中島らもでその名を知った人もいれば、メンヘラのツイートから知った人もいるかと思います。最近は保健の授業でも、商品名は出ないけれど「せき止め薬の乱用」として取り上げられますね。ここではそんなブロンODについて、まとめられる限りの情報を集めようかと思います。

最後まで読んでもらえればわかると思いますが、この記事は当該薬剤の乱用を推奨するものではありません。その副作用を正確に伝えるとともに、「なぜそれでも乱用してしまうのか?」という疑問に答えるために作用を詳述します。

初っ端から脱線しますが、現在日本での薬物教育について、最大の問題はこの「なぜその薬物を使用したくなるのか」という情報を意図的に隠している事だと思っています。例えば、「大麻を使用すると身体にこんな悪影響やこんな悪影響を及ぼし、精神病になるリスクがあります。」とだけ教えたら「じゃあなぜそのリスクを踏まえて、さらに法律を違反してまで使用してしまうのか?」がわかりませんよね。そうすると、実際に違法薬物を使用して逮捕された人が「自分とは全く違う世界の理解ができない人間」としか思えず、彼らの社会復帰を妨げる事につながるわけです。さらに、そうした薬物の使用を持ち掛けられた際にその作用とリスクを知っていれば「私はリスクをおかしてまでその快楽を得たいと思わない。」と言えるかもしれませんが、現状では「え?!そんな気持ち良いものなの?学校で教えてくれたのと全然違うじゃん!」となり、折角教え込んだ違法薬物の脅威というのも一気に信頼性を失ってしまうわけです。そもそも「大麻を一度でも使用すると一生後遺症が残ります」なんて大麻合法化した国の首相なりの目の前で言ってみろ!とかなるんですが...まあそれはそれとして。とにかく、最後に言いたいのは「日本の薬物教育と性教育は臭い物に蓋のまま」って事です。本題に戻りましょう。

ブロンについてはこちらの動画で簡単な解説をしているため、記事を読む前でも読んだ後でも、視聴して頂ければ理解を助けると思います。

 

www.nicovideo.jp

 

 

ブロンとは?

 

エスエス製薬から発売されている鎮咳剤(咳止め)。形態は糖衣錠及びシロップ。現在販売されているもののうち、ジヒドロコデインリン酸塩を主成分とするものは「エスエスブロン錠」と「新ブロン液エース」。L-カルボシステインを主成分としつつジヒドロコデインリン酸塩も配合されたものが「新エスエスブロン錠エース」。デキストロメトルファン臭化水素酸塩水和物(DXM)を主成分とする、ジヒドロコデインリン酸塩不使用のものが「エスエスブロン液L」となっています。名前がめちゃくちゃわかりづらいですね。そもそもの元祖ブロンが発売されたのは数十年前なのですが、乱用や副作用を減らすため色々改良していった結果、名前もこんな風になっています。エスエスブロン液L以外の3製品は、dl-メチルエフェドリン塩酸塩も含まれています。これらの成分については後程解説します。

ちなみに、同様の成分を用いる鎮咳剤はブロンに限らず、アネトン、トニンなど他社製品も存在します。ブロンはそれらと比べると多少安価で、中島らもなども製品名を出して執筆したので「キマる鎮咳剤=ブロン」というイメージがついたのではないかと思います。

ちなみに咳止めとしてのブロンは普通にめちゃくちゃ効きます。どうしても咳を止める必要がある際にはボクも愛用しています。

 

ODとは?

Overdose、過剰服用の略です。ある特定の薬物について、その本来の用量を超える量を摂取する事を意味します。この行為は基本的に、より強い作用を求めて行われますが、副作用の増強や、耐性、依存の形成へと繋がる事があります。市販薬の場合、コデインを主成分とする鎮咳剤、アセトアミノフェンを含む鎮痛剤や感冒薬、DXMを主成分とする鎮咳剤などがODに用いられます。

 

 

 

ブロンはなぜキマる?

 

まず、ジヒドロコデインリン酸塩について見てみましょう。この成分の元となっているのはコデインです。コデインモルヒネ、ヘロインなどと共にオピエート(Opiate)と呼ばれ、ケシ(オピウム)に含まれることからその名が付けられました。

コデインは摂取するとその10%程度が肝臓でモルヒネへと代謝され、鎮痛、鎮咳、鎮静などの作用をもたらします。ブロンODは、一般的に錠剤の場合20錠を飲むのが普通です。本来の用量は4錠なので、5倍量の服用ですね。コデインには「天井効果」という特性があり、一定量以上を摂取するとそれ以上効果が増強せず、副作用だけが増えてしまいます。乱用を続けることで耐性が生まれて使用量が増加しますが、そうした依存が形成されていない人がブロン錠ODを行う際は30錠程度が鎮静作用の天井かと思います。20錠飲んだ後、調子に乗って更に20錠入れたら作用は強まらないのに副作用の尿閉がえげつくなって死にました。尿閉などの副作用については後述します。

日本においてコデイン麻薬及び向精神薬取締法の「麻薬」として扱われます。そのため、コデインを含有しないDXMを主成分とするものは「麻薬成分不使用」との謳い文句で販売される事があります。DXMも広義の麻薬(精神を変容させ、習慣性を持ち得る薬物)にはなりますが、上述の法律では管理の対象となっていないため、こうした表現がされるわけです。

ここからコデインを抽出する行為は麻薬及び向精神薬取締法(通称麻向法)の「麻薬の製造」にあたるため違法行為となります。ロシアを中心とした一部の国で「クロコダイル」と呼ばれる粗製麻薬が流通していますが、その麻薬、デソモルヒネはこうした鎮咳剤から抽出したコデインを原料として製造されます。クロコダイルについての詳細は拙作の動画をご覧ください。

www.nicovideo.jp

 

ここまでの記述でコデインという物質についてはある程度わかったかと思います。次はコデインと共に配合されているエフェドリンですね。

 

エフェドリンは生薬である麻黄から抽出され、交感神経を興奮させる作用があります。鎮咳剤に用いられているdl-メチルエフェドリン塩酸塩は本来エフェドリンの作用を穏やかにしたものですが、それを適量の数倍摂取すれば当然それなりの効果が表れる事となります。気管支を拡張する作用があるため、昔から喘息の治療などに用いられてきました。このエフェドリンこそが1888年、長井長義によってメタンフェタミン、製品名ヒロポンが生み出される元となった物質です。現在でも、覚せい剤を製造する際の原料として、エフェドリンを含有する鎮咳剤が用いられています。ドラマ『ブレイキング・バッド』を見たことがあればわかるんじゃないかな。

麻薬の大きな分類として、鎮静作用を持つ「ダウナー」、興奮作用を持つ「アッパー」、幻覚剤である「サイケデリクス(サイケ)」という三本柱があります。ダウナーであるヘロインとアッパーであるコカインのカクテルは「スピードボール」と呼ばれるのですが、ブロンODの場合ダウナーであるコデインとアッパーであるエフェドリンの組み合わせによる簡易スピードボールと言えるかもしれませんね。

 

最後に、DXMを見てみましょう。

ここまでで、ダウナーのコデイン、アッパーのエフェドリンを見てきましたが、DXMのオーバードーズはもう一つのカテゴリ、サイケに分類されます。これもまたコデインエフェドリンと同様に乱用されやすい市販薬となっています。しかし、基本的にDXMを目的にODする場合はコンタックが使用されます。エスエスブロン液Lの主成分がDXMなのは確かなのですが、その他にも様々な成分が配合されているためDXMを目的とする場合はそれらが邪魔になるからです。DXMは通常量の20倍くらいを摂取すると、ゲロ吐きながら異世界にぶっ飛ぶことになります。めちゃくちゃ肝臓に負荷をかけるのでおすすめできません(そもそもOD自体全く推奨できない)

DXMのODについての詳細は別記事を書いているので、興味がある場合は参照してください。

 

vodvodka187.hatenablog.com

 

 

いや、マジでODとか全くお勧めしてないので。ポリさん麻薬使用の教唆とかでパクるのやめてください。心からのお願いです。

 

用量、用法

 

錠剤の場合、上述の通り一度に20錠がスタンダードです。1瓶84錠入りですが、耐性が付きまくってる人はそれを2瓶も3瓶も一気飲みする事があるそうです。そのレベルになると禁断症状が非常に強まるので、自分の意志での断薬は困難を極めます。シロップの場合、一回の通常用量は10mlです。依存者は薬屋でこれを買って1瓶120mlを一気飲みするそうですが、どう考えても多すぎます。シロップ10mlに含まれるジヒドロコデインリン酸塩の量は5mg、錠剤4錠の場合10mgです。錠剤は1日3回の服用が指定されていますが、シロップの場合1日6回まで使用して良いと指示されています。つまりコデインの1日摂取量は揃えつつ、シロップでは1回あたりの使用量を他の成分で補うという設計ですね。少し注意して欲しいのが、箱の説明書きの成分量は1回分ではなく1日分で書かれています。つまり、錠剤では箱に書かれた「ジヒドロコデインリン酸塩:30mg」は1回分の量の場合3で割って10mg。シロップの場合「ジヒドロコデインリン酸塩:30mg」は6で割って5mgです。ここがややこしいので間違えないよう気を付けましょう。

服用方法ですが、錠剤の場合普通に飲みます。そのままですね。ただし、白色の糖衣にくるまれているため翌日便が白くなります。シロップも、基本的にそのまま飲みます。めちゃくちゃ甘いので気持ち悪くなります。「咳止め薬の乱用者は歯がボロボロになる」というのはこのシロップの糖分に加え、エフェドリンの副作用である口渇により虫歯が促されるためです。数十年の間シロップはこのまま一気飲みがスタンダードだったのですが、ここ数年で新しい動きが見られるようになりました。

「リーン(Lean)」です。日本語での情報が多くないため、英語版Wikipediaのリンクを張っておきます。

 

en.wikipedia.org

 

まあリーンとはなんぞやというのを超簡単に説明すると、咳止めシロップのスプライト割ですね。主にアメリカのHIPHOPシーンで4~5年前から広がり始めたそうです。アルコールやCBD(大麻に含まれるカンナビノイドの中で、THCと異なり合法的に扱われるもの。鎮痛、リラックス作用などがあると言われている)をミックスする事もあるそうです。咳止め薬はカフェインも配合されているし、アルコールとの組み合わせは最悪です。既に死者も出ていますし、予想外の副作用及び後遺症が出る可能性があるため自殺志願者も生存志願者もやめておくのが吉です。

さて、ここまでは飲む時点までの説明です。ここから先は飲んだ後について見てみましょう。とは言っても、ブロンの作用はそう複雑なものではありません。

 

作用

・リラックス

強い抗不安作用があります。具体的に言うと、あらゆる悩みや焦燥感から一時的に解放されます。そのため鬱病境界性人格障害、その他諸々の生きづらさで常に苦しめられている人にとっては、束の間の安息を得られるわけです。ちなみに普段からそうストレスを抱えていない人にとってはそう劇的な変化はありません。後述の多幸感がまあまあ感じられる程度でしょう。

・多幸感

なんとなくぽやぽやとした幸せな気分になります。メンヘラ界隈では「ふわふわ」と表現する事が多いようです。いきなり性的な話になるけれど、男性の場合弱いドライオーガズムに近いですね。肝臓に負荷かけまくるより絶対オナニーの方がマシです。

・鎮痛

これは強力です。よほどの激痛でない限り、大抵の痛みは無に帰します。ボクは親知らずを抜いた翌日、「この痛みを抑えられるのはブロンODしかねえ!」とやった所、何も手が付けられないほどの痛みが完全に消滅しました。正直怖いくらいです。

こうした劇的な鎮痛作用は感動的なものがあります。ド・クインシーがリウマチによる地獄の激痛から、コデインと同じオピエートのアヘンの服用で解放された際の感動を『阿片常用者の告白』で記録しているので、少し見てみましょう。

 

"私は飲んだ、ありとあらゆる不利な条件の下で、飲んだ。しかしともあれ、私は飲んだのだ。ーーそして一時間後、おお!なんたる恵みか!なんたる激変か!内なる精神の奈落のどん底からのなんたる高揚か!心内の世界のなんたる黙示か!苦痛が消えたことなど、今や私の眼には取るに足らぬことだったーそんな消極的な効果は、眼前に開かれた無限の積極的効果の中にーかくのように突如、啓示された聖なる愉悦の深淵の中に、呑み込まれてしまったのだ。今、ここに、万能薬がーー一切の人間苦悩を癒すφάρμακον νηπενθές 鎮痛剤があった。ここに哲学者たちが幾時代に亘って論争し来たった幸福の秘訣が、突如として明かされたのだ。今や幸福は一片(ペニー)で買え、胴着のポケットに入れて持ち運べる。携帯用の陶酔は一パイント入りの瓶に詰められ、心の平和は郵便馬車で何ガロンという大量輸送で何処へでも届けることが出来る。"

 

アヘンはコデインよりもかなり強い作用を持ち、当然依存性も高くなります。コデインの場合ここで書かれているアヘン程の強力さは持ちませんが、その方向性について想像する一助になるかと思い、引用しました。鎮痛剤として最もよく用いられるのはバファリンアスピリンの主成分であるアセトアミノフェンですが、鎮痛作用で言えばオピエートは格が違います。その分副作用と依存性も段違いですが。

 

副作用

ここまでブロンODで得られるポジティヴな効果を見てきたわけですが、ここからは好ましくない作用について解説します。

尿閉

頻尿のボクにとって最もつらいのがこれです。控えめな量の服用であれば尿が出づらくなり、高用量では完全に排尿困難になります。排尿はできないのですが、尿意は普通にあります。膀胱がパンパンのまま排尿できずにいると、膀胱炎を引き起こす可能性があります。

・便秘

これはコデインに限らずオピエート全般に見られる副作用です。そもそもアヘンやコデインは下痢止めとして用いられる事もあるので、その場合副作用とは呼びませんが。頻繁な乱用でなければ大きな問題にはなりませんが、連用している場合深刻な問題に繋がる事があり、また離脱症状として激しい下痢を引き起こします。これはモルヒネやヘロインと同じですね。薬による便秘状態に身体が慣れてしまうと、それが無くなったときバランスが崩れて正反対に傾くわけです。

・口渇

唾液の分泌量が減少し、口が乾きます。いわゆるドライマウスです。ドライマウスが続くと虫歯や歯肉炎のリスクが高まります。また、飲み物をガブガブ飲んでしまうので、前述の尿閉と合わさると地獄です。喉も乾燥して、声がかなりかすれます。

・肝臓への負荷

これは長期的な目で見た場合ですが、薬物を処理している肝臓への負荷が半端じゃないです。特にアルコールを継続摂取している場合などは死期を早めます。また何らかの持病がある場合、それらを急速に悪化させる可能性があります。

 

作用経過記録

ここでは作用経過の1例を紹介します。使用者によって、効果の発現する時間、また作用には大きな違いがあります。ちなみに、ごく一部の人は肝臓内のコデインモルヒネ代謝する酵素を持ち合わせておらず、作用が得られない場合があります。そうした人でも副作用や依存性は生じるため、「効き目が無いから量をふやしてみようかな」というのは厳禁です。

ここで服用したものはリーン。新ブロン液エース120mlを三ツ矢サイダーで2倍に希釈したもの。通常服用量の12倍であり、含有されるジヒドロコデインリン酸塩は60mgです。コデイン量で言えば24錠(6回)分ですね。

 

08:00 上述の手順にて服用。かなり味が良い。

08:30 副作用である口渇が初めに現れる。

08:45 睡眠薬にかなり近い、脳の一部が麻痺する感覚。全身の筋肉から力が抜け、身体がリラックスしているのを感じる。

これは睡眠薬を飲んだ事のある人以外には全く伝わらないのですが、睡眠薬が回ってくるとなんだか喉というか首というかから後頭部にかけて、独特の感覚があります。今のところ、それと全く同じ感覚を味わっています。

09:00 わずかに尿閉が出始める。おしっこの勢いが弱い。

カフェインとエフェドリンの作用により心拍数が上昇しているが、コデインの呼吸抑制作用により息切れはしない。ちなみに新ブロン液エース1本(120ml)に含まれるカフェイン量は124mgで、コーヒー2杯分に相当します。

 09:30 口の渇きがかなり気になり始める。軽く鼻が詰まり始めたことも口渇の一因となっている。

全身の筋肉から緊張がほぐれ、気持ち良い。特にボクの場合デスクワークで身体が凝り固まっているので。たとえるならぬるいお風呂にゆったりと浸かっている感じ。

 おそらく血中コデイン量はこの辺りがピークでしょう。

10:15 リラックス状態が続く。尿閉は少し悪化し、尿意を感じてトイレへ入っても、排尿まで30秒ほどかかる。

 11:30 コデイン血中濃度半減期は3時間とされているが、服用から3時間半経過しても作用が続いている。尿閉が悪化し、トイレで1分以上粘ってやっと排尿できる。全身のリラックスは心地よい倦怠感、脱力感へと変化し、立ち上がると軽く脚が震える。また、全身に軽い痒みがある。

12:30 倦怠感などはほぼ無くなるが、口渇、尿閉の副作用が続く。尿閉は悪化し、排尿するために立ったり座ったり四苦八苦する。おしっこって座った方が出しやすいんですね。

13:00 副作用まで含めて消失したため、ここで作用を終了したものとする。服用からの経過時間は4時間。軽微な頭痛を残す。

 

繰り返しになりますが、薬の効果は人によって大きな違いがあります。ここで挙げた用量でより強い多幸感を得る人もいれば、全く作用が出ない人もいるでしょう。どのような薬物であってもこのことを念頭に置き、初めて服用するものは最小量から始めることが鉄則です。

 

ブロンODはお勧めできるか?

 

全くお勧めしません。

鬱や不安で悩んでいるなら精神科へ行きましょう。痛みがひどいなら医者にかかりましょう。確かにこれらの症状への効果はありますが、明らかにリスクの方が大きいです。損します。金をかけて身体をすり減らす行為です。

しかしながら、未成年で酒は飲めないし、親に理解が無くて病院にも行けないし...という人たちにとっての数少ない逃げ道となっているのもまた確かです。そのため、こうした乱用を防ぐのに必要なのは「ODはダメ!」とただ言うのではなく、医療制度や社会制度の改善が必要となってくる問題でしょうね。

少なくとも、「なんかブロンが良いって聞いたからODしてみます」「よく知らないけど咳止め薬のODはヤバいらしい」という曖昧な認識ではなく、きちんとリスクとリターンの知識を持った上で自分が判断できる環境というのを提供したくてこの文章を書きました。

質問等がある場合、ここのコメント欄に書き込むかTwitterでたずねていただければ、できる限り真摯にお答えします。

チー牛がアベノマネーでピアスを開けてきた

目次

 

 

はじめに

 

安倍さん、お小遣いありがとうございます。

 テコンダー朴」広報アカウント (@taekwondo5000) さんのマンガ一覧 ...

 

みなさんは10万円、何に使いますか?無論必要な出費に消えるという方もいるとは思いますが。そんな中でボクの選んだ考えは...

 

ピアス開けるか。

 

実は1年ほど前両耳たぶにピアッサー使って開けたのですが、その時はホールが安定せず塞がってしまったという苦い思い出があります。なので今度は病院にちゃんと行こうという事で。

ピアス穴あけは保険外診療になるので、病院によって価格設定に大きな差があります。今回選んだところは、ファーストピアス付きで3300円で両耳たぶに1つずつ開けてくれる所です。調べたところ、病院によっては平気で一か所1万円とか取るところもあるそうで。なので今回選んだ病院はかなり良心的と言えそうです。

ちなみに、セルフでピアッシングする場合はピアッサーが1000円弱で売られています。多分こういうので開ける人が一番多いんじゃないかな。多く使われている分、インターネット上にも様々な情報がそろっています。動画でもね。大抵の場合問題なくいくんだけれど、トラブルが起きる可能性も無いわけではないので、そうした時に頼れる病院があるのは強みです。

 

施術

前提の説明はここまでにして、当日の記録に移りましょうか。

前述の病院はホットペッパービューティーで予約。ピアスは学生料金で3300円と、通常より1000円くらい安くなります。23歳大学院生も学生扱いだからお得ですね。社会人として活躍している同期を見るとしんどくなります。話題がそれるけど、うちの教授はちょうどバブル期に大学を卒業。30歳で同窓会をした時に、「俺はまだ年収1千万だからな~。ま、支店長ならこんなもんかw」と話す同級生を見て、当時まだ大学院生で収入ゼロだった教授は死ぬほど情けなかったそうです。未来のボクですね。

 

閑話休題

美容外科なのでスタッフも客も男性ゼロです。浮きます。気にしたら負けかなと思う。

受付で予約したプランを確認されます。

 

ここで魔が差した

 

「あの~、ついでに軟骨にも一緒に開ける事ってできますか?」「ええ。ただ軟骨用のファーストピアスはチタン製なので、5500円になりますが...。」「お願いします(即答)」

 

そういうわけで、初ピアスでいきなり4か所開けることになりました。だってほら、せっかくだし、ね?今回の費用は両耳たぶ3300円、両耳軟骨5500円、消毒薬1000円で9800円也。1万円切ってるので悪くないと思います。という事は給付金全部突っ込めば40か所に開けられますね。

 

ちなみに八重葎さんが描くピアスゴリゴリの女の子めちゃ好きです。スタンプ買いました。

 

まず、ペンを渡されてピアスを開けたいところに印を付けます。正直よくわからないので、大体で付けて細かい場所は施術士さんに聞こうと思います。

診察室のベッドの上に座って施術。なんか銃みたいなやつをお姉さんが持ってきます。整形外科の診療|藤田整形外科医院|佐野市相生町

(藤田整形外科さまから画像お借りしました。 https://www.fujita-ortho.com/annai.html )

 

いや、銃じゃん

 

名前はそのままピアスガンと呼ぶそうです。そうこれは...

 

リベレーターですね。正直二つ並べられたら見分けつかないです。

 

そんなこんなで、場所は「この辺とかどうっスかね~」「それでお願いします」と全任せ。だってボク素人だし。

 

「軟骨と耳たぶどっちから開けますか?ちなみに軟骨の方が数倍痛いです。」「じゃあ軟骨からでお願いします。」ドMなので。

ちなみに、痛みが苦手な人は弱い痛みの方からやった方が良いです。最初の痛覚で脳内麻薬を分泌させてから強い方へ移った方が、総体的な痛みの量および最大痛覚が多少減ります。こちとら痛いのが好きでピアス開けとんじゃ。

 

「いいですか?いきますよ?大丈夫ですか?」

いやはよせいって。なんでそこで引き延ばすんですか?ドキドキさせたいんですか?

 

バツン!と音がして耳に衝撃が走ります。痛みより音にびっくりします。

どれくらいの痛みか、これからピアスを開けようか検討している方のためにも伝えたいんだけれど、正直腕切りまくってた人間なので「腕にタバコ押し付ける方が100倍痛かったな...」という感想です。何一つ役に立ちませんね。ちなみに人生での痛みランキングNo.1が根性焼き、No.2がちんちんに棒突っ込んで尿道傷つけた時です。

 

まあそんな感じでバチバチ4回こなして終わり。血は全く出てません。ジェル状の消毒液を買って、病院からは化膿した時のための軟膏も貰いました。開けて2週間、後者はまだ必要なさそうです。

「耳たぶのファーストピアスは2か月も経てば外して大丈夫です。軟骨は骨折状態と同じなので、半年以上は付けたままにしてください。」意外と長いですね。このデカめの金のファーストピアス結構ダサいから早く付け替えたいんだけどな...

「ホールは清潔にするように。あと、髪拭く時タオルがひっかかって激痛に苦しむのは誰もが通る道なので、覚悟してくださいw」なにわろてんねん。

 

そんなこんなで初(?)ピアス開けは終わったのでした。ここからはその後の話。

 

ピアスは開けた後がめんどくさい

 

開けてから5時間程度は耳が熱をもってズキズキしていました。まあそう気になる程ではないかな。なんかとっても気分が良いです。ふふーんどうだ、俺はピアス開けたんだぞみたいな。多分電車で隣にこんなのが座ってきたらそっと席を離れると思います。

その日の夜になると大体痛みも落ち着きました。シャワーを浴びて、清潔に保ちます。風呂上がりに髪を拭いていると....

「あ゛っ゛?!?!」

はい、軟骨ピアスにひっかかりました。穴を開けた時と同程度の痛みが不意打ちで襲い掛かり、なんかすごい声が出ました。こわいね。

その後はぷるぷる震える手で身体を拭きました。

ドライヤーを掛ける時も、気を付けないとピアスが熱されてやけどします。正直めんどくさいです。

施術中に気づいてずっと後悔していた事、それは

「先に髪切っておくべきだった...」

その頃ボクは米津玄師みたいな頭で目が隠れる程度だったんですが、ヘアサロンではかなりざっくりいってます。1ヶ月でここまで伸びる。調べたら「ピアス付いてると対応してくれないヘアサロンもある」との情報が出てきて泣いてました。

ちうわけで行きつけのところへ電話確認したのですが、「あ、大丈夫っスよ」との事。安心して任せましたとさ。

 

2日後、ヘアサロンへ来ました。ついてくれたのはそこのチーフスタイリストで、経験豊富だし何度もお世話になってるので割と安心して任せられた。

まあそれでも痛いんですけどね!

かなり気を使ってくれたけれど、それでもタオルがひっかかったり手が当たったりでちょくちょく痛いです。痛いだけなら良いけどあんまり繰り返すとホールが安定しなくなるので避けたいところ。

耳たぶならそこまで気にならない場所だし、ファーストピアスが外れるのも最短1か月なのであまり問題にならないかもしれません。先に述べた通り、軟骨ピアスはファーストピアス外せるまで半年以上かかるので、まだ5回以上同じ経験をする必要があります。スタイリストさん、面倒な注文付けてごめんなさい。

 

そんなわけで米津玄師から韓国アイドルへと形態変化したうおとかですが、次の関門が立ちはだかります。

 

ピアスを付けたままでCTスキャンは受けられるのか?

 実は少し前から親知らずに悩んでいます。かかりつけの歯医者でレントゲンを撮ったところ、真横に生えて骨に埋まっているのでここでは抜歯できないと言われました。紹介状を貰って大学病院へ来たのがピアスを開けた1週間後。

まず問題はレントゲンです。レントゲンもCTスキャンX線を照射する検査ですが、基本的に金属類は全て外して受けるものです。場所によっては映り込んでわからなくなっちゃうからね。当然ピアスを外すよう促されるのですが...

「すみません、1週間前に開けたところで、ファーストピアス取れないんです...。」「あー、それは外しちゃダメですよね笑」 自身もピアス付けてるお姉さんが技師だったので理解あってよかった。

その後のCTスキャンでは...

「1週間前に(略」「ふーむ、まあとりあえず撮ってみようか。」

真面目そうなおじさん技師だけどめちゃ優しいな?!

撮影後、「あー、大して影響なかったわ笑」との事でした。

 

これについては、ピアスの部位であったり、撮影方法などでどうしてもNGの場合はあるので、基本的にピアスを開ける際はその辺りも忘れないようにしましょう。

 

ピアスはお洒落な人が開けるもの?

男の場合、色々ファッションに拘ってる人がピアスに手を出すってイメージありますよね。

しかしその逆もあるという事を提唱したい。

ボクは正直お洒落があまりわからないし、少し前までは興味もありませんでした。しかしながら、なんとなくの思い付きでピアスを開けて以来、それにあうファッションを色々考えたり、調べてみたりとかなり方向が変わった気がします。なので、「自分はピアス開けて良いほどお洒落じゃないし...」と思ってるオタクくんにこそピアスを勧めたい!わかったな、オタク!お洒落は後からついてくるぞ!

 

 

男のピアスについて

 

ちなみに男が複数ピアス付けてると女ウケは最悪になるそうです。でも逆にホモのハートには突き刺さってチンポ突き刺されます。ふしぎだね。

そんなピアスですが、付ける位置と数によってセクシャリティのアピールになる事があります。特に欧米では一般的なので、間違えると困った事になる可能性があります。

まず、片耳に1つの場合。

ストレート(ノンケ)男性は左耳につけるものとされています。これが右耳になるとゲイのアピールに。逆にストレート女性は右耳に付けるのですが、その由来についてはこのように言われています。

その昔、男性は利き手である右手に剣を持ち、左手に盾を持っていた。守るべき女性は左側を歩かせたので、そちらから見えるように左耳にピアスを付けた。反対に、守られる側である女性は、男性に見えるよう右耳にピアスを付けていた。

ちょっとこう、一部の人から怒られそうなアレではありますが。これを念頭に置いて海外のゲイやレズビアンを見ると、結構上に書いた方の耳にピアスを付けていて、割とこの考えが普及している事がわかります。日本では知らない人も少なくないので、知らずに間違えて付けると主に海外へ行ったとき困るかも。日本でもピアスについてある程度知っている人なら必ず持ってる知識です。ちなみに英語では「右耳にピアスを付けている男はゲイ」を「Right Earring Rule」というそうです。Urban Dictionary

両耳に1つずつ付けている場合は、ストレート、もしくはバイセクシャルの意味になるそうです。

そしてそれ以上付けている場合!なんとなく、数が多い方の意味が優先されそうだな~という気持ちがあったのだけれど、調べた中では「偶数個付けている方の意味が優先される」という情報が多数派で、さまざまな場所で言われていました。つまり、右2左3の場合ゲイ、右3左2の場合ストレート、といった感じですね。

 

おわりに

結構長くなりましたね。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。記事の内容についての質問は、ここのコメント欄でも、ツイッターでもお気軽に聞いてください。あとはこんなこと書いてほしいとかもね!

耳の写真を見ても良いって人はこのままスクロールしてください。

それではまた来週! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:写真

 

現状はこんな感じ。ゴールドのが病院で開けてもらった分、シルバーのはついさっきピアッサーで追加した分です。

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きみは「やさしい日本語」を知っているか?

当記事は日本語の標準的言葉遣い、およびやさしい日本語による文章の2種類を使用します。両者の内容はおおよそ同じです。文体の違いを感じながら読んでみてください。

 

ふつうの 日本語(にほんご)と、やさしい日本語(にほんご)で ()きます。中身(なかみ)は (おな)じです。くらべて ()んで ください。

 

 

 

やさしい日本語版(にほんごばん)

 

やさしい日本語(にほんご)は、日本(にほん)に ()む 外国人(がいこくじん)の ために できた 言葉(ことば)です。 日本語(にほんご)は、むずかしい 言葉(ことば)です。 でも、日本(にほん)には 英語(えいご)が できない(ひと)も たくさん います。なので、 やさしい日本語(にほんご)は、 外国人(がいこくじん)に 色々(いろいろ)な ことを ()らせる ために できました。やさしい日本語(にほんご)には、 いくつか ()まりが あります。ここに ()きます。

 

1. (なが)い (ぶん)は 使(つか)いません。

(みじか)い (ぶん)は わかりやすいです。だから (ぶん)を (なが)く しません。

 

2. かんたんな 言葉(ことば)を 使(つか)います。

むずかしい 言葉(ことば)は (ちが)う 言葉(ことば)に かえます。

 

3. 漢字(かんじ)には ふりがなを つけます。

 

4. 言葉(ことば)を わけて ()きます。

言葉(ことば)は わけない(こと)も あります。 でも わけない ()(かた)は むずかしく なります。

 

やさしい日本語(にほんご)は 1995(ねん)の 阪神(はんしん)淡路大震災(あわじだいしんさい)(おお)きな 地震(じしん))の (あと)に できました。日本(にほん)に いる 外国人(がいこくじん)の 半分(はんぶん)は 英語(えいご)が わかりません。 だから、わかりやすい 日本語(にほんご)が いります。やさしい日本語(にほんご)は 英語(えいご)の Simple Englishに ()ています。 日本語(にほんご)を (まな)ぶ (ひと)にも ()いです。

 

 

 

 

標準日本語版

 

やさしい日本語は、日本に定住している外国人のために作られた日本語の人工的な変種です。日本語は漢字、ひらがな、カタカナといった表記体系及び文法の複雑さ、意味の曖昧さなどを特徴とする、学習難易度が高い言語の一つとして挙げられます。国立国語研究所による調査では、定住外国人のうち日本語を理解できる人は62.6%、英語の場合44%という結果が出ています。定住外国人に必要な情報を伝達する際に使用されるという目的のもと、やさしい日本語という概念が生み出されました。やさしい日本語は以下を特徴とします。

 

1. 長文を避け、構造を簡素にする事。

 

主語と述語を明確にし、文を理解しやすく作ります。

 

2. 難しい語彙を避ける事。

 

「理解する」→「わかる」「制作する」→「作る」など、語彙の言いかえを行います。

 

3. 漢字にはふりがなを付ける事。

 

4. 分かち書きをする事。

文節ごとに余白を入れて文を作ります。分かち書きは必ず行われるわけではありませんが、少なくとも全文をひらがなで記述する際にはこうした表記がなされます。

 

1995年の阪神淡路大震災において、日本語も英語も十分に理解できない外国人が必要な情報を得られない事が多くありました。やさしい日本語は英語におけるSimple EnglishやBasic Englishに相当するものであり、外国人への情報発信だけでなく、日本語教育の足掛かりとしても用いられています。

 

やさしい日本語の知名度は低く、おそらく日本語教師以外にはほとんど認知されていないかと思います。ここではやさしい日本語の概略を説明し、定住外国人支援について知るきっかけになればと思い、執筆しました。

 

参考ページ

「やさしい日本語」について:2020年オリンピック・パラリンピックに向けた多言語対応協議会ポータルサイト  

やさしい日本語研究グループ

やさしい日本語(pdfファイル):しまね国際センター

アダルトグッズに20万かけたボクが最強グッズをレビュー

先日ツイッターを見ていたら、「頭が良い人ほど性欲が強い」と流れてきました。性欲の強さでいうならボクはIQ5億くらいあるんだと思います。

 

さて、今回はアダルト通販NLSプラチナ会員でもあるボクが、特に人に勧めたいと思うグッズの紹介をしていく、という趣旨の記事です。この分野における人類の叡智は素晴らしい。オナニーというのは人に与えられた身体と極限まで向き合う、「セッション」だと考えています。

 以上序文

 

A10サイクロンSA

 

www.e-nls.com

電動オナホール界の頂点というべき存在。約2万円。「性家電」という新たな概念を提唱した。

内部のホール部分は10種類以上の個性的なモノを取り替え可能。ボクのお気に入りは「ボルテックス」。複雑な内部構造で単にオナホールとして見ても優秀。そして内部がねじれ構造になっているため、A10サイクロンSAの横回転で使用するとスゴい。

www.e-nls.com

メーカー推奨ではないので故障も自己責任になるけれど、公式以外のオナホールもサイズによっては装着できる。使い慣れたホールでも今まで知らなかったポテンシャルを発揮する可能性があるよ。

 

 

NEXUS REVO STEALTH

 

www.e-nls.com

電動前立腺マッサージ器の王者 NEXUS REVOシリーズ。約2万円。

現在は防水仕様になった改良版が出ているようです。エネマグラ系のデザインは的確に前立腺を押さえ、電源を入れなくても挿入しただけでメスイキしてしまう。稼働させると前立腺をピンポイントにねちねち刺激してくれてトレビヤン。このシリーズはいくつか種類があるけれど、リモコンで操作できるSTEALTHが圧倒的におすすめです。

 

 

U.F.O SA

www.e-nls.com

最強電動乳首責めマシン。約2万円。7種類の回転パターン、6種類のアタッチメントを揃えています。特に附属アタッチメントのバラの花みたいな形したやつがヤバい。定期的に使用して開発が進むとこれだけでイける。筋肉は裏切らないというけれど、本当に裏切らないのは乳首。乳首を育てろ。ちんちんで致す時もお尻で致す時も、チクニーを組み合わせると飛躍的に満足度が向上する。

 

さて、ここまではアダルトグッズの中でも最高級品といえる高価な品が多かったので、ここからは比較的手頃なアイテムに移ろうと思います。ちなみにアダルトグッズの中でも本当に高価なものならピストンマシンやラブドールなど、数十万円レベルになるのでまあ普通のショップでも売られている中では最高級品、という注釈を加えて。

 

オナホール Dolphine!

 

daimaoh.co.jp

これは本当に素晴らしい。穴として見たら実物のまんこより気持ちよいです。マジで。ボクの使っているやつはレギュラーハードかな。設計者のサイバーイグアナさんがしばしばこのオナホの理想的な使用方法などについてツイートしているので確認しておくと良いかも知れない。人気商品なので品薄が続いています。

 

スライヴ:ハンディーマッサージャー

 

アマゾンで約2000円。 電マならこれ。ミニサイズのモノも色々売られているけれど、100V電源を使うこれは圧倒的に振動が強いです。先端部のカバーを外すと振動が2倍くらいになるけれど、回転部が露出して危険なので気をつけて。

 

エネマグラ

 

アネロス以外はただのおもちゃさ!

色々なメーカーが安価なモノを出しているけれど、安物買いの銭失いになる可能性が高いです。6000~8000円と高めだけれど、絶対にアネロス製品を買った方が良いと思います。色々なシリーズがあるけれど、ここではボクが所持している二点で。

 

プロガスム

 

www.aneros.co.jp

アネロス製品で一番大きなサイズ。無条件で前立腺を押しつぶしてくるので最強と言っても良い製品。欠点としては、そのサイズ故だいたい指3本が入る程度まではお尻をほぐしておく必要がある事、またセラミック製なのでお尻の入り口あたりは少し擦れて痛みがある。でもマジでこの快感は他のグッズでは味わえない。

 

ヒリックスシントライデント

 

www.aneros.co.jp

9000円するアネロスの中では高級モデル。しかしそれだけの価値はある製品。まず全体がシリコンでコーティングされてるので非常になめらかな質感。そして下の「つる」部分が柔らかいため、この製品を使用していて痛みを感じることはありません。総じて、エネマグラとしては初心者に是非選んでほしいものです。小ぶりなサイズは中級者以上には不足かと言うとそんなことはなく、動きが活発な分それをコントロールできる中上級者にはまたプロガスムなどとは異なる感覚をもたらしてくれます。

 

エネマグラはドライオーガズムだけのための物ではなく、これを挿入した状態で射精すると前立腺と精嚢が圧迫されて「最後の一滴まで搾り取られる」感覚があります。頭真っ白になります。すごいです。

 

 

 

今回はこの程度で。他にも「こんなグッズってどうなの?」という疑問があれば、ツイッターなどで聞いてくれればできる限り答えます。

脳内麻薬を制して人生を制覇しよう!

自己矛盾☆における『繰り返し』技法から見る文脈の意味論

  1. はじめに

  2. 『自己矛盾☆』で用いられる繰り返しとは

  3.  実例分析

    3-1.「お前はクッキー☆が好き、私もクッキー☆が好き」

    3-2.「クッキー☆は肥溜めに咲いた奇跡の花

    3-3.「視線に飢えている」

  4. 分析結果から見る繰り返しの機能

  5. 終わりに

 

 

1.はじめに

www.nicovideo.jp

 自己矛盾氏による”クッキー☆ボイスドラマ”、『魔理沙とアリスの自己矛盾☆』は様々な観点から読み解く事が可能であり、今なおその新鮮さは色褪せない。ここでは本作品の内複数回用いられる「セリフの繰り返し」に焦点を当て、その表現の背景に立つ文脈、コンテクストの役割について振り返る。筆者の知識不足、またブログ記事という媒体上簡素な文章にならざるを得ないが、小論を通じて読者、筆者共に作品への理解を深める事を執筆の目的とする。また以下の分析は動画の視聴を前提として進めていくため、読者にあっては当該の動画を一見されたい。

 本論の執筆にあたって、登場人物の名前を台本から変更した。

 ・原理主義HSK→過激派

 ・KZY→企画者

 また、主人公については文脈によって「霊夢」「主人公」表記を使用している。

 

2. 『自己矛盾☆』で用いられる繰り返しとは

 『魔理沙とアリスの自己矛盾☆』(以下、『自己矛盾☆』とする)において、

・異なる人物が

・異なる場面で

同じセリフを用いる表現がある。この解釈は、言語学では意味論という分野で研究されている。私たちは普段そのメカニズムについて意識することなく複雑な意味関係を理解しているが、例えば機械翻訳の開発でこの意味解釈は大きな障害となった。『自己矛盾☆』における具体例は後に見るが、文脈によって文の意味は時に正反対にもなるものである。

3. 実例分析

3-1.「お前はクッキー☆が好き、私もクッキー☆が好き」

36:10 企画者「お前はクッキー☆が好き、俺もクッキー☆が好き。そこに何の違いもないからな!」

37:47 過激派「お前はクッキー☆が好き、私もクッキー☆が大好きだ。そこに何の違いもないからな。」

 

 これはこの「繰り返し」について分析する際最も適切な例になるだろう。主人公に対して向けられたこの言葉を文字通り解釈すれば

A=B   B=C  → A=C  

・主人公は企画者と全く同じようにクッキー☆を愛している

・主人公は過激派と全く同じようにクッキー☆を愛している

よって

・企画者と過激派は全く同じようにクッキー☆を愛している

という結論が導き出されるが、当然これは事実と正反対と言って良い。

 もっとも、この点については二つの解釈がある。一つは今書いたようにこの二人の思想は当然矛盾しているとした上でその意味を追求するものだが、「お互いが対極に立っていると思い込んでいる二人だが、実は彼らのクッキー☆に対する愛には通ずるものがあるのではないか?」という疑問として解釈する事も可能だ。後者は修辞学的に見れば反語的問いかけと言う事ができよう。しかしここでは前者の解釈に基づいて続ける。

 過激派と企画者による主人公へのこの呼びかけが事実と異なっている事は、この直後主人公が邪悪にデフォルメされた二人の板挟みになる心理描写からも明らかだ。企画者に対して主人公は、クッキー☆を売名の為に利用する事への反感を抱いている。過激派に対して主人公は、伝統を守る事に固持して創作の可能性を奪う事への反感を抱いている。「お前はクッキー☆が好き。私もクッキー☆が好き。」という一つのセリフからこうした複雑な葛藤を引き出すような技術こそ、『自己矛盾☆』が視聴者を惹きつけてやまない要因の一つだろう。

 

3-2.「クッキー☆は肥溜めに咲いた奇跡の花

20:36 霊夢クッキー☆は肥溜めに咲いた奇跡の花だよ?」 

36:55 過激派「クッキー☆文化遺産だ。高尚なのだ。まさに肥溜めに咲いた奇跡の花!東方二次創作とは一線を画す貴重な花なのだ。」

 これは一つ目の例とは少し異なるケースだ。この「クッキー☆は肥溜めに咲いた奇跡の花」という思想はク☆堕ちして間もない過激派に霊夢が伝え、後ほど霊夢に送り返された概念と言える。この例についての分析は、時間経過による霊夢の立場の変化が中心になる。

 霊夢が過激派に伝えたこの概念だが、物語後半で過激派が口にした時霊夢は最初と同じようにこの言葉を信じていただろうか?そうではない。ラストシーンの演説で叫ばれるよう、霊夢クッキー☆の闇の深さ、それ自体が含む不気味なアンバランスさ、界隈に住み着く人々の醜さ(紫曰く「人間の屑」)に直面していた。即ち、この場面で「クッキー☆は肥溜めに咲いた奇跡の花」という言葉が代表しているのは

クッキー☆の醜さを知る前の無邪気な霊夢

クッキー☆の醜さに直面するもそれから目を背ける事で理想を保っている過激派

であり、前者を現在の霊夢に突きつける事で、霊夢自身の立場の変化を照らし出すランタンのように機能しているのである。

 

3-3. 「視線に飢えている」

10:50 ピエロ「しかしよほど視線に飢えていたのか…。」

14:48 紫「あなた相当に視線に飢えている。」

 これは霊夢、また霊夢としてのアバターを纏う前も含めた主人公について二つの異なる視点から見た表現である。「二つの異なる視点から見た表現」にも関わらず同じ言葉が使われている点が、本論のテーマそのものだ。

 ピエロ、紫共に霊夢アバターを纏う前後の主人公を知っているが、発言の場面は異なる。まず前者は、ク☆堕ちした最初の絵への反応に魅入られている主人公を表現したセリフだ。この時点では

 

「おい、そろそろ5分立つぞ。その絵削除しないのか?」

「いや…それは…」
「どうした?消さないのか?お前のやってるそれは二次創作だぞ。お前が嫌ってた二次創作だ。それも超安易なやつ。お前はオリジナルで踏ん張るんだろ?」
「意地悪しないでよ…」

 

というやり取りから読み取れるように、主人公はまだ葛藤を残しながらもクッキー☆の魅力から逃れられなくなっている。一方紫がこの言葉を言う時、主人公が我を失ってクッキー☆へのめり込んでいる姿が描かれている。紫が「あなた相当に視線に飢えている。」と言ったとき、視聴者は再生時間にして4分前のピエロのセリフ「しかしよほど視線に飢えていたのか...。」を思い出す。それが引き金となり、視聴者はまだ葛藤を残していた頃の主人公と、現在のクッキー☆にのめり込んだ姿を対比する事ができるようになる。これが「繰り返し」の効果である。

 

4. 分析結果から見る繰り返しの機能

 以上3つの例について分析したが、その結果明らかになった繰り返しの機能についてまとめよう。

・異なる状況について、共通のセリフを接点として対比させる。

 過激派と企画者の例がこれにあたる。彼らの対立については劇中様々な表現で繰り返し描かれるものの、このセリフの繰り返しを用いた表現は霊夢が最終的な選択を迫られる場面に配置される事で、最も効果的に機能している。

・視聴者に、異なる時点での登場人物を対比させる。

 3-2,3-3がこれにあたる。セリフが繰り返された時点で視聴者は前回そのセリフを聴いた場面を思い出し、現時点で展開されている状況とそれを頭の中で比較する。セリフの繰り返しという技法を用いなければ、作者は対比させたい時点の人物について、回想などの描写で再び描く必要があるだろう。そして時折そうした描写は視聴者に冗長さを覚えさせる。ここではその回想がセリフの繰り返しによって視聴者の脳内で行われ、結果として作品の無駄を省く事に繋がっている。

 ここでの考察で3-1と3-2,3-3が別の結果を導いているのは、同じセリフの繰り返しであっても厳密に見た際それぞれ異なる性質を持っているためである。即ち、前者は一つの場面内でセリフの繰り返しが用いられているのに対し、後者は時間的に距離のある別場面でそれが行われている。前者は本論で最初に定めた「繰り返し」の定義からは外れるが、分析対象とする価値があるため取り扱った。

 

5. 終わりに

 今回はセリフの繰り返しに焦点を当てて分析を行ったが、これは『自己矛盾☆』で利用されている表現技法のごく一部に過ぎない。この作品は言語学、文学理論、映画理論など様々な分野で研究する余地の残された作品である。今後の作品分析、及び創作活動の発展を願うと共に、筆者もその一助となれれば幸いである。

 

 

 

トリップするとどうなるの?:短編小説

幻覚剤のトリップってなかなか想像しづらいですよね。経験者に聞いても言葉ではうまく説明できないものだし...。そういう事で一つの参考になればと短編でまとめてみました。

 

※この作品はフィクションです。違法・合法問わずあらゆる種類の薬物の使用を推奨するものではありません。

お決まりの文だけど書いてみたかったんだよね。なんかそれっぽいじゃん(知らん)

 

以下本編

 

 

心地よい温度の部屋で横になる。シャーマンがアヤワスカ治療のために歌うイカロの素朴な響きが、心を落ち着けるのを助けてくれる。

ー不安と期待

ちょっとした心のさざ波が増幅されて嵐を引き起こすこの旅には望ましくない。ゆっくり、ゆっくり心と身体を脱力させる。

喉元の金属的な痺れがトリップの始まりを告げ、登り路が始まる。

目の前に映るシンプルな模様が次第に組み入っていく。まるで単細胞生物が多細胞生物へと進化していくように。46億年の進化の記憶が遺伝子に組み込まれているのは当然じゃないか?自分の中に秘められた情報が引き出され、目前に晒される。自身の、人類の、そして生命の歴史が抽象的な映像として展開していく。人間の意識はどこまで視覚に支配されているのだろう。

...音だ。イカロに紛れてサイン波が微かに届いてくる。自己触媒化する単純な音はそれ自身とぶつかり、乱れ、複雑化していく。その波長は既に現実ではありえない響きへと到達している。

存在しない空気の振動はぼくの意識を共振させる。サイケデリック・トランスを聴くたびに軽い幻覚を引き起こすトリガーは、今自分の脳内からぼく自身を揺さぶっているこの波形だ。

痺れは喉から手足へと広がり、意識を重力から解放する。LSDを服用してアイソレーションタンクに入ったジョン・C・リリーはいわば無重力オーバードーズだ。常にぼくの意識を縛り付けている身体は溶けた?沈んだ?散った?いずれにせよ魂は肉体の軛を解かれた。

形を無くした身体、方向を失った精神は蒸気のように霧散していく。限りなく希薄になろうとも、可能な限り広く拡散しようとする魂。

”規模”の概念が失われていく。ほんの一部を切り取っても全体像と形の変わらないフラクタル。宇宙を統合する自己相似の法則はぼくの意識と宇宙を同一化する。

梵我一如。なんてシンプルな言葉だろう。なんて不便な言葉だろう。

その境地を体感した者にしか理解できない宇宙の真理。言語の不自由さに直面する禅僧は美しい禅問答の数々を生み出した。

オルダス・ハクスリーは『知覚の扉』でこう書いた。

 

 

"ある弟子が師匠にこう尋ねる。

「世の真理とはどこにあるのでしょう」

「庭の生け垣の中じゃ」

「ではどのような者がそれに触れる事が出来るのですか?」

師匠は弟子の肩をぴしゃりと打って言った。

「そは黄金の獅子じゃ」

 

この禅問答を見た時、私は意味をなさない、ナンセンスなやり取りだと受け取った。それが今、メスカリンの作用の中にあってこの師匠の言葉が真実を捉えたものなのだと理解した。それはこれ以外の言葉で表現する事の出来ない、世の真実なのだ。"

 

 

禅僧が厳しい修行の果てに辿り着いた境地を、ぼくたちはインスタントに経験できる。それは言葉では表現できないが、どうにかして言語化するならば常人から見て解釈不能な文になるだろう。この言葉は言語学では解析できない。しかしながらランダムに生成された物ではなくある一つの体系であって、むしろ特定の感覚を引き出すための呪文の一種と言える。経穴に刺激を与える鍼と同じように、これらの言葉は精神(脳と言い換えても良い)の特定の部位を刺激する事で作用を与える。意識を操作するテクニックの体系、言葉による鍼治療こそが禅問答なのだ。

突然思い出したように息を吸い込む。呼吸するのを忘れていたのか?いや、これは時間感覚が引き延ばされているせいだ。ここまでの思考が一呼吸の間に行われていた事を知る。普段そのほとんどが眠っている脳が本気を出した時、思考が加速する事で時間感覚は相対的に引き延ばされる。そもそも人間の時間感覚とはいかようにも伸び縮みするもので、人に叱られている時の5分間と楽しく遊んでいる時の5分間が同じ長さに思えるという人間には出会ったことがない。時計による時間は社会に規律をもたらしたが、その役割を過信してはいけない。数量としての時間と私たちの感じている時間は別物であって、前者によって後者が定義される事はありえない。

 

そうして思考が反響する。

そうして思考が反響する。

そうして思考が反響する。

一つの考えが四方の壁にぶつかって別々に返ってくる。ズレた思考に合わせて人格も分裂していく。それとも人格が分裂したから思考もズレていくのか?卵が先か、鶏が先か。一度始まれば無限に思考が反響して互いを変質させていく。意識がハウリングしないようにリミッターをかける。言葉による思考が信頼できない段階へと入る。

波のように寄せては返す思考は脳を震わせ、失ったはずの身体を振動させる。意識が物質を動かす。身体はあらゆる形へ変化を繰り返す。

表情筋を引きつらせれば機械の精霊が彼らの言葉で脳に語り掛ける。その眼球の歯車が回転するたびに意識のギアが切り替わる。右脳と左脳の狭い隙間から這い出して一息つく。自分と言う恒星が自身の重力で内側に崩壊していくのを見る。意識の虹から降る飴玉は黄色い味がする。全ての秩序が失われて一つのシステムに統合されていく。

ぼくはここに存在していながらここには存在しない。神聖で冒涜的なビジョンに翻弄される。物事が対立している様を表す「矛盾」という概念がそれ自体なんの矛盾も含まない整合された体系と知る。存在する/しないという0と1のデジタルな対立ではなく、その「濃さ」による判断で世界を分析する。自分が存在する領域、占有している空間は明確な境界を持たず、スペクトラム状の広がりとして認識される。

 

不意に意識が投げ出される。ぼくを圧倒し、翻弄していた思考の嵐はあとも残さず消え去って、ただぼく一人が凪のなかを漂っている。自我の死(エゴ・デス)だ。

今までの嵐は自我の揺らぎが増幅されたものだったと知る。デカルトの言う「考える、故に我あり」の「考える我」、彼が定義したところの自己の最小単位が停止した状態。それじゃあぼくは無くなってしまったのだろうか?

いや、考える事ができなくなってもここにぼくは在る。自我というカプセルに包まれた自己の本当の最小単位。魂。

光も、闇も無い場所でただ漂う魂。どこまでも広がる平穏に抱かれる。死んだ後の世界。生まれる前の世界。

 

 

 

自分に身体がある事に気が付く。瞼というものがあって、それが開けられるのだと気が付く。目を開くと天井があった。

生まれたての赤ん坊のように少しずつ世界を知る。自分に手足がある事を知って嬉しくて笑ってしまう。ぼくがぼくである事を段々と取り戻していく。

お腹に手を置くと膨らんだりへこんだりしていて、自分が呼吸している事を知る。身体の形がわかってくる。

やれやれ、大変な目に遭ったと思いながら今までの経験を反芻する。言語は不自由だ。でも言語化できた事以外はきっとその内忘れてしまう。

ピークが去ったけれどまだ作用が終わったわけではない。時計を見ると3時間が経過していたけれど、当然体感時間がどれくらいだったかなんて分析はできない。

ここまでの経験をタイプする。意識が一点に集中すると自分の世界がそこへと収束していく。ここでは時間の流れが普通とは違う。流れる水のような時間ではなく、ある種のフレームの連続として時間が知覚される。その瞬間の宇宙を切り取ったフレーム。それが連続して進んでいく世界。フレームを切り替える、もしくはこの世界のページをめくるタイミングは自由にコントロールできる。切り取られた一瞬に好きなだけ滞在する事もできる。

かなりの文量を打ち込んだつもりだったが、時計を見ると3分しか経っていない。まだ心は時間の縛りから解き放たれたまま、ゆったりと音楽に耳を傾ける。

こんなものだろうか。肺を風船のように膨らませてたばこを吸うのが面白かった、という事だけ書いて、この文章を終わりとする。

 

 

 

 

 

 

芥川龍之介『芋粥』とゴーゴリ『外套』が似ていてびっくりした話

先日、数年ぶりに芥川龍之介の『芋粥』を読んだ。読み始めてすぐ「この主人公、随分と外套の主人公に似てるな」と思ったけれど、そのまま読み進めたら描写や話の筋も驚くほど似ていたのでここにメモ(リンクは青空文庫)。最終的に芥川は外套(1842年出版)を読んだ後に芋粥(1916年出版)を執筆したんじゃないかと信じるようになったくらいで。

本文を引用しながら書くのでかなり冗長になります。まず主人公の設定。

どちらも主人公はしがない小役人。みすぼらしい風体で同僚からも周囲の人々からも蔑まれています。本文から主人公の解説を。

 

『外套』:

ある局に、【一人の官吏】が勤めていた――官吏、といったところで、大して立派な役柄の者ではなかった。背丈がちんちくりんで、顔には薄あばたがあり、髪の毛は赤ちゃけ、それに目がしょぼしょぼしていて、額がすこし禿げあがり、頬の両側には小皺が寄って、どうもその顔いろはいわゆる痔もちらしい……しかし、これはどうも仕方がない! 罪はペテルブルグの気候にあるのだから。官等にいたっては(それというのも、わが国では何はさて、官等を第一に御披露しなければならないからであるが)、いわゆる万年九等官というやつで、これは知っての通り噛みつくこともできない相手をやりこめるというまことにけっこうな習慣を持つ凡百の文士連から存分に愚弄されたり、ひやかされたりしてきた官等である。

芋粥』:

兎に角、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。これが、この話の主人公である。
 五位は、風采の甚だ揚がらない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけてゐるから、頤が、人並はづれて、細く見える。唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである。

 

そしてこれらの主人公はどちらも「まるで生まれてきてすぐこの官職についていたようで、誰も過去の経歴を覚えていない」。

 

 

『外套』:

いつ、どういう時に、彼が官庁に入ったのか、また何人が彼を任命したのか、その点については誰ひとり記憶している者がなかった。局長や、もろもろの課長連が幾人となく更迭しても、彼は相も変らず同じ席で、同じ地位で、同じ役柄の、十年一日の如き文書係を勤めていたので、しまいにはみんなが、てっきりこの男はちゃんと制服を身につけ、禿げ頭を振りかざして、すっかり用意をしてこの世へ生まれてきたものにちがいないと思いこんでしまったほどである。

芋粥』:

この男が、何時、どうして、基経に仕へるやうになつたのか、それは誰も知つてゐない。が、余程以前から、同じやうな色の褪めた水干に、同じやうな萎々した烏帽子をかけて、同じやうな役目を、飽きずに、毎日、繰返してゐる事だけは、確である。その結果であらう、今では、誰が見ても、この男に若い時があつたとは思はれない。(五位は四十を越してゐた。)その代り、生れた時から、あの通り寒むさうな赤鼻と、形ばかりの口髭とを、朱雀大路の衢風、吹かせてゐたと云ふ気がする。上は主人の基経から、下は牛飼の童児まで、無意識ながら、悉くさう信じて疑ふ者がない。

 

さて、そんなみすぼらしい彼らに人々は誰一人敬意を払うことがありません。

 

『外套』:

課長連は彼に対して妙に冷やかな圧制的な態度をとった。ある課長補佐の如きは、「清書してくれたまえ。」とか、「こいつはなかなか面白い、ちょっといい書類だよ。」とか、またはおよそ礼儀正しい勤め人の間で普通にとりかわされている何かちょっとしたお愛想ひとつ言うでもなく、いきなり彼の鼻先へ書類をつきつけるのであった。すると、彼はちらと書類のほうを見るだけで、いったい誰がそれを差し出したのやら、相手にはたしてそうする権利があるのやら、そんなことにはいっこう頓着なく、それを受け取る。受け取ると、早速その書類の写しにとりかかったものである。

芋粥』:

かう云ふ風采を具へた男が、周囲から受ける待遇は、恐らく書くまでもないことであらう。侍所にゐる連中は、五位に対して、殆ど蠅程の注意も払はない。有位無位、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、眼を遮へぎらないのであらう。下役でさへさうだとすれば、別当とか、侍所の司とか云ふ上役たちが頭から彼を相手にしないのは、寧ろ自然の数である。彼等は、五位に対すると、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表情の後に隠して、何を云ふのでも、手真似だけで用を足した。

 

そして同僚からはあからさまな嫌がらせを受けます。

 

『外套』:

若い官吏どもは、その属僚的な駄洒落の限りを尽して彼をからかったり冷かしたり、彼のいる前で彼についてのいろんなでたらめな作り話をしたものである。彼のいる下宿の主婦で七十にもなる老婆の話を持ち出して、その婆さんが彼をいつも殴つのだと言ったり、お二人の婚礼はいつですかと訊ねたり、雪だといって、彼の頭へ紙きれをふりかけたりなどもした。しかし、アカーキイ・アカーキエウィッチは、まるで自分の目の前には誰ひとりいないもののように、そんなことにはうんともすんとも口答え一つしなかった。

芋粥』:

所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄しようとした。年かさの同僚が、彼の振はない風采を材料にして、古い洒落を聞かせようとする如く、年下の同僚も、亦それを機会にして、所謂興言利口の練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲して飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ唇の女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、屡彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等は甚だ、性質たちの悪い悪戯さへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝の酒を飲んで、後あとへ尿を入れて置いたと云ふ事を書けば、その外は凡およそ、想像される事だらうと思ふ。
 しかし、五位はこれらの揶揄に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。

 

嫌がらせの度が過ぎるとたしなめる言葉を発するのですが、それは普段と違って不思議と聞いた人の心に強く響く言葉です。

 

『外套』:

ただあまりいたずらが過ぎたり、仕事をさせまいとして肘を突っついたりされる時にだけ、彼は初めて口を開くのである。「かまわないで下さい! 何だってそんなに人を馬鹿にするんです?」それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近ごろ任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼をからかおうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この若者の目には、あたかもすべてが一変して、前とは全然別なものに見えるようになったくらいである。彼がそれまで如才のない世慣れた人たちだと思って交際していた同僚たちから、ある超自然的な力が彼をおし隔ててしまった。それから長いあいだというもの、きわめて愉快な時にさえも、あの「かまわないで下さい! 何だってそう人を馬鹿にするんです?」と、胸に滲み入るような音をあげた、額の禿げあがった、ちんちくりんな官吏の姿が思い出されてならなかった。しかもその胸に滲み入るような言葉の中から、「わたしだって君の同胞なんだよ。」という別な言葉が響いてきた。で、哀れなこの若者は思わず顔をおおった。その後ながい生涯のあいだにも幾度となく、人間の内心にはいかに多くの薄情なものがあり、洗練された教養ある如才なさの中に、しかも、ああ! 世間で上品な清廉の士とみなされているような人間の内部にすら、いかに多くの凶悪な野性が潜んでいるかを見て、彼は戦慄を禁じ得なかったものである。

芋粥』:

唯、同僚の悪戯が、嵩じすぎて、髷に紙切れをつけたり、太刀の鞘に草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、お身たちは。」と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或いぢらしさに打たれてしまふ。(彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。)――さう云ふ気が、朧げながら、彼等の心に、一瞬の間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも持続ける者は甚少い。その少い中の一人に、或無位の侍があつた。これは丹波の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年である。勿論、この男も始めは皆と一しよに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑した。所が、或日何かの折に、「いけぬのう、お身たちは」と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るやうになつた。栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそを掻いた、「人間」が覗いてゐるからである。この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが急に本来の下等さを露あらはすやうに思はれた。さうしてそれと同時に霜げた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味の慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。……

 

さらにこのまま主人公のみすぼらしい外見の描写が続きます。

 

『外套』:

彼は自分の服装のことなどはまるで心にもとめなかった。彼の着ている制服といえば、緑色があせて変なにんじんに黴が生えたような色をしていた。それに襟が狭くて低かったため、彼の首はそれほど長いほうではなかったけれど、襟からにゅうと抜け出して、例の外国人をきどったロシア人が幾十となく頭にのせて売り歩く、あの石膏細工の首ふり猫のように、おそろしく長く見えた。それにまた、彼の制服には、いつもきまって、何か乾草の切れっぱしとか糸くずといったものがこびりついていた。おまけに彼は街を歩くのに、ちょうど窓先からいろんな芥屑を投げすてる時をみはからって、その下を通るという妙なくせがあった。そのために、彼の帽子にはいつも、パンくずだの、きゅうりの皮だのといった、いろんなくだらないものが引っかかっていた。彼は生まれてこの方ただの一度も、日々、街中でくり返されているできごとなどには注意を向けたこともなかったが、知ってのとおり、彼の同僚の年若い官吏などは、向こう側の歩道を歩いている人がズボンの裾の止め紐を綻ばしているのさえみのがさないくらい眼がはやくて、そういったものを見つけると、いつもその顔に狡い薄笑いを浮かべたものである。

芋粥』:

第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍の水干と、同じ色の指貫とが一つづつあるのが、今ではそれが上白うはじろんで、藍とも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴の色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車を牽いてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。それに佩いてゐる太刀も、頗る覚束ない物で、柄の金具も如何しければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦にするのも、無理はない。

 

さて、ここまではほとんど外套の舞台をロシアから日本に書き換えただけのように思えませんか?

 この後はそれぞれ違った展開になるけれど、どちらも「何もない人生を送っていた主人公が一つの夢を持ち、それを叶えるもののハッピーエンドとはならない」という大筋は共通しています。

二つの話をネタバレ込みであらすじ書くから自分で読みたい人は気を付けてね。いや、芥川とゴーゴリにネタバレ注意いるのかわからんけど。教科書にも書いてあるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニコライ・ゴーゴリ『外套』

主人公アカーキイ・アカーキエヴィチはペテルブルクの小役人。みすぼらしい外見で周囲から蔑まれており、本人はただ書類を書き写すだけの仕事しかこなせない。ある日、ボロボロの外套を繕ってもらおうと仕立て屋へ持っていくと「もうこれ以上は繕えない。新たな外套を仕立てる必要がある」と言われてしまう。必要な80ルーブルは大金だったが、必死に節約に励みとうとう用意し終える。それまで無味乾燥な人生を送っていたアカーキイにとって、この夢を叶えるために努力する日々は生まれて初めて有意義で幸せに思える物だった。

彼と懇意の仕立て屋が仕立て上げた外套は素晴らしかった。それまでアカーキイを蔑んでいた同僚たちのあいだでも話題になり、その外套を祝うパーティーが開かれる事となる。無理に誘われてやむなく出席するアカーキイだったが、人慣れしていない彼にとってパーティーは居づらく隙を見て一人で抜け出す。

初めての夜の街を歩く彼は突然追剥にあい、件の外套を奪い取られてしまう。半狂乱で警察に駆け込むが、大して真面目に対応してもらえない。同僚から「より上の人物に相談すべきだ」と紹介を受けるが、ただ自分の偉さを見せびらかしたいだけのその人物には助力を貰うどころか怒鳴りつけられて門前払いを受けてしまう。茫然自失としたアカーキイは外套も羽織らずペテルブルクの街をさまよい、そのまま扁桃炎で急死する。

その後しばらく、ペテルブルクでは突然現れて外套を奪う幽霊が出ると噂になったという。

 

芥川龍之介芋粥

主人公は摂政藤原基経に仕える五位という役職の侍。あまりに凡庸な男だったためか、名前は伝わっておらずただ五位とだけ呼ばれる。物売りからもバカにされるようなみすぼらしい風体の男である。ある時など、子供たちが捕まえた犬を取り囲んで殴っていたのに見かねて「もうやめてあげなさい」と声をかけるが、「余計なお世話だ、この赤鼻め!」と返されてしまう。そんな五位にも一つだけ強い願望があった。それは 「芋粥に飽かむ」事。当時(西暦880年頃)この山の芋を甘葛(あまづら)の汁で煮込んだ甘い粥は非常に高級な物で、五位のような下っ端の侍は賓客を迎える宴で余ったものを一口二口しか口にすることができなかった。

或る時、こうした宴でふと呟いた「何時になつたら、これに飽ける事かのう」という言葉が藤原利仁の耳に入り、「ならば叶えて進ぜよう」と突然その願いが果たされる事となる。

数日後、利仁と馬で出かける五位は「すぐ近くだ、すぐ近くだ」と言われながら騙され、なんと京都から駿河(静岡)まで連れて行かれる事になってしまう。五位の心には既に「もうこのまま一人で帰ってしまいたい。」との気持ちが湧き上がっていたが、ただ「芋粥に飽かむ事」への勇気が彼を鼓舞していた。

道中、利仁が「あれに、よい使者が参つた。敦賀への言づけを申さう。」と言うと一匹の狐を捕まえ、「客人を連れて帰るから明日高島の辺りまで迎えを出すように」と館へ伝言するよう命じる。

そして翌日、二人が時間通り高島へ着くとそこには館からの迎えが待っていた。何でも昨夜突然利仁の夫人が狐に憑かれ、上の伝言を伝えたとの事。獣すら従え扱う利仁に敬服する五位であった。

翌朝、二、三千もの山になった芋を次々と芋粥へと調理していくその光景を見、匂いを嗅ぎながら、その芋粥を食べるためにわざわざ京都から駿河まで来た自分の境遇を考えると五位は情けなさで食欲をほとんど無くしてしまった。その上、実際に完成した芋粥をなみなみと湛えた大きな提(ひさげ)を見た彼は既に満腹感すら覚えた。必死に飲むものの、もう吐きそうになった五位だが「そう遠慮なさるな」と勧められもはや絶体絶命のような思いだった。

そこでふと利仁が昨夜伝令に走らせた狐を見つけ、それにも芋粥を与えるよう命じる。やっと芋粥地獄から逃れた五位は、今までの冴えない、しかしながら一つの夢を心に抱いている幸福な自分に思いを馳せるのだった。

 

どちらも「主人公は人生で唯一の夢を叶えたが、幸せなのはその夢を抱いている今までの日々の方だった。」というお話としてまとめられるかな。

あらすじを書くのって難しいね!そもそも作家が一字一句無駄の無いよう推敲した作品を素人が削るのだから、どうしても冗長になってしまう。どちらもすぐに読める短編で青空文庫のリンクも貼ったので、興味があればぜひ原文を読んでほしいな。

今日はそんな感じのお話でした。

 

2019,11,09