『礼儀正しい国』:キノの旅ファン小説

 

礼儀正しい国

ーOur rule is our commonsence.ー

 

草原は春の陽光を浴びて、色とりどりの花で埋め尽くされていました。細く澄んだ川に沿った道を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていました。運転手は十代中ごろの若い人間でした。黒い髪の上に鍔と耳を覆うたれのついた帽子をかぶり、ところどころが禿げた銀色フレームのゴーグルを着けていました。
「もうすぐだね」
「次に行くのはどんな国なの?」
「とても美しい国だと聞いた。この時期はサクラという花が満開で、その花びらが吹雪のように舞っているんだって。それにー」
「それに?」
「ご飯がとても美味しい。」
「そればっかり」

 

地平線の向こうに白い城壁が見えました。太陽の光を反射して、城壁と瓦がきらきらと輝いていました。
「キノ、ここかな?」
「ああ、本当に美しい...」
堀に渡された橋をゆるゆると渡り、城門へと入っていきました。
「ようこそ我が国へ!旅人さんですね?」
「はい、三日間滞在する予定です」
「武器はお持ちですか?」
「ナイフとパースエイダーがあります」
「国内では周囲を威圧しないよう、隠していただければ持ち込んでいただいても結構です。我が国の治安はとても良いので、使う機会はありませんが。どうぞ、手続きが済みましたので、ご入国ください」
「「ようこそ我が国へ!」」
事務所にいた全員が全く同じ角度で深々とお辞儀したので、キノは少し驚きました。

 

街は大変静かでした。キノを見かけた人々はみな、静かにお辞儀しました。
「ここではお辞儀が挨拶なんだね」
モトラドもお辞儀出来たらなあ」
「通りも静かで綺麗だ」
「ま、酔っぱらいにべたべた触られるのはもう勘弁だね」


物価はあまり安くないので、キノはレストランではなく居酒屋で夕食を取る事にしました。店に入るなり上着を脱ぐよう促され、「上着は食事の間にクリーニングし、モトラドもピカピカに洗車する」と説明されました。

「入れたり作れりだね、キノ」
「・・・至れり尽くせり?」
「そうそれ」

旅人のニュースは国中に知れ渡っていたので、キノもスーツ姿で飲み会をしているグループにお呼ばれしました。
「やあ旅人さん!この国はどうです?」
「とても美しくて、静かな国ですね。それに食事も・・・この生の魚もとても美味しいです。素材が良いんですね」
「治安も良いし、望むならいくらでも滞在していってよ!」
「よっ、俺も混ぜてくれよ。俺はタクミ、今日は無礼講だからな、楽しもう」
「ブレーコー?」
「礼儀を気にしなくて良い場って意味さ。普段は礼儀を大切にする国だから、たまには息抜きが必要なんだ」
「確かに、この国に入ってから皆さんの丁寧な態度に驚きました」
「そうでしょうそうでしょう、それがこの国の良いところ、他国にない伝統ですからね。ささ、一杯どうです」

 

「貴様ぁ!何やっとるか!」
唐突に怒声が響き渡りました。見ると壮年の男性の前で若い女性が土下座しています。
「申し訳ございません、どうぞお許しください」
「貴様は上司への敬いというものが無いのか!」
そうだそうだ、と周囲も便乗して女性を責め立てます。
彼女はひたすら泣きながらひれ伏していました。

「あれは?」
「ああ、彼女がマナー違反をしたんです」
「多分ビールを注ぐときラベルを下に向けたんじゃないかな」
「そんな事まで決められているんですか?」
キノは驚いてたずねました。
「ああ、法律みたいに明文化されてるわけじゃないんだけどね。一般常識さ」
罰として女性はお酒を何杯か一気飲みさせられ、トイレに行ったままお開きまで戻ってきませんでした。

 

二日目、ピカピカになったエルメスに乗ってキノは買い物を済ませ、ホテルに帰ると言付けが届いていました。
「明日朝10時  河原通公園で待つ」

 

三日目の朝、指定された公園へ向かうとそこにいたのは飲み会で話をした男性でした。息をのむほど美しい桜吹雪の中で、もだえ苦しむような顔をして、立っていました。

「旅人さん、私をここから連れ出してください!」
男は泣きそうな顔でそう懇願しました。

 

「この国では昔から礼節を大切にしてきました。伝統を守る素晴らしい国でした。ここ十数年の話です、あのマナー講師というのが現れたのは」
男は忌々しそうに吐き捨て、続けました。
「彼らは次々と新しい”マナー”を作り出していきました。皆が知らないマナーを教えなければ食べていけないので、その時々の思い付きで新たなマナーを”常識”に組み込んでいったんです。

この国の人々には主体性がありません。多数派の思想が国のルールになってしまうんです。例えばこのモトラドさんを指さしてみんなが「これはホヴィーだ」と言えば、この国ではそれはホヴィーという事になってしまいます。王様の言葉ですべてが決まる王政の国がありますよね?王様のひと言で黒が白になるほど強い発言権を持つ。」
「ええ、そういった国も見たことがあります。」
「この国は国民が王である絶対王政なんです。王が一人の国と違うのは、その決定に責任を持つ者がいないため、どんな滅茶苦茶な事が決まっても誰のせいにもできないのです。強いて言えば、私たち国民の責任ですね。こんな息苦しい国には耐えられない、もう限界なんです。」
「ご自分で国を出る事はできないのですか?」
「そんな事をすれば残された家族が村八分にされてしまいます!」
村八分?」
「社会からのけ者にされるって事」
エルメスが付け足しました。
「国から逃げ出すのではなく、新しい仕事として旅人さんのお手伝いという形なら逃亡者とはされません。どんな事でもしますから、私をお供として連れ出してください!」

キノは少しの間躊躇いましたが、はっきりいう事にしました。
「申し訳ないのですが、それはできません。ボクのモトラドに二人乗りで旅は難しいですし、あなたを連れて行く余裕はありません。」
「あ、ああ...そうですよね。私は...失礼しました。自分の事しか考えずに...やはりこの国の人間としてあと何十年か耐えて生きねばならないのですね。」
がっくりと膝をつき、男はうつろな顔で呟きました。

そんな中能天気な声で口を開いたのはエルメスでした。
「でもさー、さっきおっちゃん「次々と新しいマナーが作られていく」って言ってたよね?」
「・・・? はい」
「じゃあさ、自分でもそういうの作っちゃえば良いんじゃない?おっちゃんみたいにマナーにうんざりしてる人が沢山いるなら、多分みんな乗ってくれるよ」

エルメスの言葉を飲み込むまで少し沈黙しましたが、男の顔はみるみる明るくなっていきました。
「そうか・・・その手があったか!駄目で元々、やってみるしかない!ありがとうございます!」
男は繰り返し感謝の言葉を述べ、軽い足取りで帰りました。


草原の真ん中をモトラドがばばばばばばと走っていきます。
運転手の服についていた桜色の花びらがひらひらと舞い落ちました。
「ねえキノ、あのおっちゃん上手く行ったと思う?」
「わからない・・・。でも、国を変える事が出来るのはその国民だけだ。
ボクたちにできるのは、せいぜいアドバイスするくらいだね。」

 

 

 

その後、この国である本がベストセラーになりました。
『あなたのマナーはもう古い?世界の新常識~大切な事は旅人が教えてくれた~』

 

 

 

2019.2.14