芥川龍之介『芋粥』とゴーゴリ『外套』が似ていてびっくりした話

先日、数年ぶりに芥川龍之介の『芋粥』を読んだ。読み始めてすぐ「この主人公、随分と外套の主人公に似てるな」と思ったけれど、そのまま読み進めたら描写や話の筋も驚くほど似ていたのでここにメモ(リンクは青空文庫)。最終的に芥川は外套(1842年出版)を読んだ後に芋粥(1916年出版)を執筆したんじゃないかと信じるようになったくらいで。

本文を引用しながら書くのでかなり冗長になります。まず主人公の設定。

どちらも主人公はしがない小役人。みすぼらしい風体で同僚からも周囲の人々からも蔑まれています。本文から主人公の解説を。

 

『外套』:

ある局に、【一人の官吏】が勤めていた――官吏、といったところで、大して立派な役柄の者ではなかった。背丈がちんちくりんで、顔には薄あばたがあり、髪の毛は赤ちゃけ、それに目がしょぼしょぼしていて、額がすこし禿げあがり、頬の両側には小皺が寄って、どうもその顔いろはいわゆる痔もちらしい……しかし、これはどうも仕方がない! 罪はペテルブルグの気候にあるのだから。官等にいたっては(それというのも、わが国では何はさて、官等を第一に御披露しなければならないからであるが)、いわゆる万年九等官というやつで、これは知っての通り噛みつくこともできない相手をやりこめるというまことにけっこうな習慣を持つ凡百の文士連から存分に愚弄されたり、ひやかされたりしてきた官等である。

芋粥』:

兎に角、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。これが、この話の主人公である。
 五位は、風采の甚だ揚がらない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけてゐるから、頤が、人並はづれて、細く見える。唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである。

 

そしてこれらの主人公はどちらも「まるで生まれてきてすぐこの官職についていたようで、誰も過去の経歴を覚えていない」。

 

 

『外套』:

いつ、どういう時に、彼が官庁に入ったのか、また何人が彼を任命したのか、その点については誰ひとり記憶している者がなかった。局長や、もろもろの課長連が幾人となく更迭しても、彼は相も変らず同じ席で、同じ地位で、同じ役柄の、十年一日の如き文書係を勤めていたので、しまいにはみんなが、てっきりこの男はちゃんと制服を身につけ、禿げ頭を振りかざして、すっかり用意をしてこの世へ生まれてきたものにちがいないと思いこんでしまったほどである。

芋粥』:

この男が、何時、どうして、基経に仕へるやうになつたのか、それは誰も知つてゐない。が、余程以前から、同じやうな色の褪めた水干に、同じやうな萎々した烏帽子をかけて、同じやうな役目を、飽きずに、毎日、繰返してゐる事だけは、確である。その結果であらう、今では、誰が見ても、この男に若い時があつたとは思はれない。(五位は四十を越してゐた。)その代り、生れた時から、あの通り寒むさうな赤鼻と、形ばかりの口髭とを、朱雀大路の衢風、吹かせてゐたと云ふ気がする。上は主人の基経から、下は牛飼の童児まで、無意識ながら、悉くさう信じて疑ふ者がない。

 

さて、そんなみすぼらしい彼らに人々は誰一人敬意を払うことがありません。

 

『外套』:

課長連は彼に対して妙に冷やかな圧制的な態度をとった。ある課長補佐の如きは、「清書してくれたまえ。」とか、「こいつはなかなか面白い、ちょっといい書類だよ。」とか、またはおよそ礼儀正しい勤め人の間で普通にとりかわされている何かちょっとしたお愛想ひとつ言うでもなく、いきなり彼の鼻先へ書類をつきつけるのであった。すると、彼はちらと書類のほうを見るだけで、いったい誰がそれを差し出したのやら、相手にはたしてそうする権利があるのやら、そんなことにはいっこう頓着なく、それを受け取る。受け取ると、早速その書類の写しにとりかかったものである。

芋粥』:

かう云ふ風采を具へた男が、周囲から受ける待遇は、恐らく書くまでもないことであらう。侍所にゐる連中は、五位に対して、殆ど蠅程の注意も払はない。有位無位、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、眼を遮へぎらないのであらう。下役でさへさうだとすれば、別当とか、侍所の司とか云ふ上役たちが頭から彼を相手にしないのは、寧ろ自然の数である。彼等は、五位に対すると、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表情の後に隠して、何を云ふのでも、手真似だけで用を足した。

 

そして同僚からはあからさまな嫌がらせを受けます。

 

『外套』:

若い官吏どもは、その属僚的な駄洒落の限りを尽して彼をからかったり冷かしたり、彼のいる前で彼についてのいろんなでたらめな作り話をしたものである。彼のいる下宿の主婦で七十にもなる老婆の話を持ち出して、その婆さんが彼をいつも殴つのだと言ったり、お二人の婚礼はいつですかと訊ねたり、雪だといって、彼の頭へ紙きれをふりかけたりなどもした。しかし、アカーキイ・アカーキエウィッチは、まるで自分の目の前には誰ひとりいないもののように、そんなことにはうんともすんとも口答え一つしなかった。

芋粥』:

所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄しようとした。年かさの同僚が、彼の振はない風采を材料にして、古い洒落を聞かせようとする如く、年下の同僚も、亦それを機会にして、所謂興言利口の練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲して飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ唇の女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、屡彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等は甚だ、性質たちの悪い悪戯さへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝の酒を飲んで、後あとへ尿を入れて置いたと云ふ事を書けば、その外は凡およそ、想像される事だらうと思ふ。
 しかし、五位はこれらの揶揄に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。

 

嫌がらせの度が過ぎるとたしなめる言葉を発するのですが、それは普段と違って不思議と聞いた人の心に強く響く言葉です。

 

『外套』:

ただあまりいたずらが過ぎたり、仕事をさせまいとして肘を突っついたりされる時にだけ、彼は初めて口を開くのである。「かまわないで下さい! 何だってそんなに人を馬鹿にするんです?」それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近ごろ任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼をからかおうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この若者の目には、あたかもすべてが一変して、前とは全然別なものに見えるようになったくらいである。彼がそれまで如才のない世慣れた人たちだと思って交際していた同僚たちから、ある超自然的な力が彼をおし隔ててしまった。それから長いあいだというもの、きわめて愉快な時にさえも、あの「かまわないで下さい! 何だってそう人を馬鹿にするんです?」と、胸に滲み入るような音をあげた、額の禿げあがった、ちんちくりんな官吏の姿が思い出されてならなかった。しかもその胸に滲み入るような言葉の中から、「わたしだって君の同胞なんだよ。」という別な言葉が響いてきた。で、哀れなこの若者は思わず顔をおおった。その後ながい生涯のあいだにも幾度となく、人間の内心にはいかに多くの薄情なものがあり、洗練された教養ある如才なさの中に、しかも、ああ! 世間で上品な清廉の士とみなされているような人間の内部にすら、いかに多くの凶悪な野性が潜んでいるかを見て、彼は戦慄を禁じ得なかったものである。

芋粥』:

唯、同僚の悪戯が、嵩じすぎて、髷に紙切れをつけたり、太刀の鞘に草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、お身たちは。」と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或いぢらしさに打たれてしまふ。(彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。)――さう云ふ気が、朧げながら、彼等の心に、一瞬の間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも持続ける者は甚少い。その少い中の一人に、或無位の侍があつた。これは丹波の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年である。勿論、この男も始めは皆と一しよに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑した。所が、或日何かの折に、「いけぬのう、お身たちは」と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るやうになつた。栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそを掻いた、「人間」が覗いてゐるからである。この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが急に本来の下等さを露あらはすやうに思はれた。さうしてそれと同時に霜げた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味の慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。……

 

さらにこのまま主人公のみすぼらしい外見の描写が続きます。

 

『外套』:

彼は自分の服装のことなどはまるで心にもとめなかった。彼の着ている制服といえば、緑色があせて変なにんじんに黴が生えたような色をしていた。それに襟が狭くて低かったため、彼の首はそれほど長いほうではなかったけれど、襟からにゅうと抜け出して、例の外国人をきどったロシア人が幾十となく頭にのせて売り歩く、あの石膏細工の首ふり猫のように、おそろしく長く見えた。それにまた、彼の制服には、いつもきまって、何か乾草の切れっぱしとか糸くずといったものがこびりついていた。おまけに彼は街を歩くのに、ちょうど窓先からいろんな芥屑を投げすてる時をみはからって、その下を通るという妙なくせがあった。そのために、彼の帽子にはいつも、パンくずだの、きゅうりの皮だのといった、いろんなくだらないものが引っかかっていた。彼は生まれてこの方ただの一度も、日々、街中でくり返されているできごとなどには注意を向けたこともなかったが、知ってのとおり、彼の同僚の年若い官吏などは、向こう側の歩道を歩いている人がズボンの裾の止め紐を綻ばしているのさえみのがさないくらい眼がはやくて、そういったものを見つけると、いつもその顔に狡い薄笑いを浮かべたものである。

芋粥』:

第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍の水干と、同じ色の指貫とが一つづつあるのが、今ではそれが上白うはじろんで、藍とも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴の色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車を牽いてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。それに佩いてゐる太刀も、頗る覚束ない物で、柄の金具も如何しければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦にするのも、無理はない。

 

さて、ここまではほとんど外套の舞台をロシアから日本に書き換えただけのように思えませんか?

 この後はそれぞれ違った展開になるけれど、どちらも「何もない人生を送っていた主人公が一つの夢を持ち、それを叶えるもののハッピーエンドとはならない」という大筋は共通しています。

二つの話をネタバレ込みであらすじ書くから自分で読みたい人は気を付けてね。いや、芥川とゴーゴリにネタバレ注意いるのかわからんけど。教科書にも書いてあるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニコライ・ゴーゴリ『外套』

主人公アカーキイ・アカーキエヴィチはペテルブルクの小役人。みすぼらしい外見で周囲から蔑まれており、本人はただ書類を書き写すだけの仕事しかこなせない。ある日、ボロボロの外套を繕ってもらおうと仕立て屋へ持っていくと「もうこれ以上は繕えない。新たな外套を仕立てる必要がある」と言われてしまう。必要な80ルーブルは大金だったが、必死に節約に励みとうとう用意し終える。それまで無味乾燥な人生を送っていたアカーキイにとって、この夢を叶えるために努力する日々は生まれて初めて有意義で幸せに思える物だった。

彼と懇意の仕立て屋が仕立て上げた外套は素晴らしかった。それまでアカーキイを蔑んでいた同僚たちのあいだでも話題になり、その外套を祝うパーティーが開かれる事となる。無理に誘われてやむなく出席するアカーキイだったが、人慣れしていない彼にとってパーティーは居づらく隙を見て一人で抜け出す。

初めての夜の街を歩く彼は突然追剥にあい、件の外套を奪い取られてしまう。半狂乱で警察に駆け込むが、大して真面目に対応してもらえない。同僚から「より上の人物に相談すべきだ」と紹介を受けるが、ただ自分の偉さを見せびらかしたいだけのその人物には助力を貰うどころか怒鳴りつけられて門前払いを受けてしまう。茫然自失としたアカーキイは外套も羽織らずペテルブルクの街をさまよい、そのまま扁桃炎で急死する。

その後しばらく、ペテルブルクでは突然現れて外套を奪う幽霊が出ると噂になったという。

 

芥川龍之介芋粥

主人公は摂政藤原基経に仕える五位という役職の侍。あまりに凡庸な男だったためか、名前は伝わっておらずただ五位とだけ呼ばれる。物売りからもバカにされるようなみすぼらしい風体の男である。ある時など、子供たちが捕まえた犬を取り囲んで殴っていたのに見かねて「もうやめてあげなさい」と声をかけるが、「余計なお世話だ、この赤鼻め!」と返されてしまう。そんな五位にも一つだけ強い願望があった。それは 「芋粥に飽かむ」事。当時(西暦880年頃)この山の芋を甘葛(あまづら)の汁で煮込んだ甘い粥は非常に高級な物で、五位のような下っ端の侍は賓客を迎える宴で余ったものを一口二口しか口にすることができなかった。

或る時、こうした宴でふと呟いた「何時になつたら、これに飽ける事かのう」という言葉が藤原利仁の耳に入り、「ならば叶えて進ぜよう」と突然その願いが果たされる事となる。

数日後、利仁と馬で出かける五位は「すぐ近くだ、すぐ近くだ」と言われながら騙され、なんと京都から駿河(静岡)まで連れて行かれる事になってしまう。五位の心には既に「もうこのまま一人で帰ってしまいたい。」との気持ちが湧き上がっていたが、ただ「芋粥に飽かむ事」への勇気が彼を鼓舞していた。

道中、利仁が「あれに、よい使者が参つた。敦賀への言づけを申さう。」と言うと一匹の狐を捕まえ、「客人を連れて帰るから明日高島の辺りまで迎えを出すように」と館へ伝言するよう命じる。

そして翌日、二人が時間通り高島へ着くとそこには館からの迎えが待っていた。何でも昨夜突然利仁の夫人が狐に憑かれ、上の伝言を伝えたとの事。獣すら従え扱う利仁に敬服する五位であった。

翌朝、二、三千もの山になった芋を次々と芋粥へと調理していくその光景を見、匂いを嗅ぎながら、その芋粥を食べるためにわざわざ京都から駿河まで来た自分の境遇を考えると五位は情けなさで食欲をほとんど無くしてしまった。その上、実際に完成した芋粥をなみなみと湛えた大きな提(ひさげ)を見た彼は既に満腹感すら覚えた。必死に飲むものの、もう吐きそうになった五位だが「そう遠慮なさるな」と勧められもはや絶体絶命のような思いだった。

そこでふと利仁が昨夜伝令に走らせた狐を見つけ、それにも芋粥を与えるよう命じる。やっと芋粥地獄から逃れた五位は、今までの冴えない、しかしながら一つの夢を心に抱いている幸福な自分に思いを馳せるのだった。

 

どちらも「主人公は人生で唯一の夢を叶えたが、幸せなのはその夢を抱いている今までの日々の方だった。」というお話としてまとめられるかな。

あらすじを書くのって難しいね!そもそも作家が一字一句無駄の無いよう推敲した作品を素人が削るのだから、どうしても冗長になってしまう。どちらもすぐに読める短編で青空文庫のリンクも貼ったので、興味があればぜひ原文を読んでほしいな。

今日はそんな感じのお話でした。

 

2019,11,09