ドラクエ未プレイのボクが例の劇場版を見てきた話

ご存知のように、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』がインターネット上で酷評されている。ゲームドラゴンクエストの愛好家にとっては、まるで思い出を踏みにじられたように感じるらしい。ではここで、ドラゴンクエストに何の思い入れもないボクが鑑賞したらどうなるかという疑問が湧いてきたわけで

観て来た。

 

100点満点で採点すると・・・

 

-255/100点  堂々の駄作です

・内訳

演技:+50

グラフィック:+50

脚本:-999

 

いや、良いところは沢山あるんですよ。声優の演技力は素晴らしくて登場人物の感情が良く表現されているし、3DCGグラフィックも滑らかで美しい。

 

ただし山崎監督  テメーは駄目だ

 

前述のとおり素材が良いだけに、すべてを滅茶苦茶にした戦犯として監督がやり玉に挙げられるのはまあ当然の流れかな、と。

いわゆる「駄作」と呼ばれる映画は基本的に「観て得る物がない、つまらない」という作品ですが、今作は監督の遊び心により視聴者の期待を完全に破壊してくる仕上がりで、前者を「消極的駄作」と呼ぶなら今作は「アグレッシブ駄作」と言えるでしょう。知らんけど。

 

さて、ここからはネタバレを含む説明になります。まだ未視聴かつ今後劇場へ行って自分の目で確かめたいと思っている方はここまででお帰り下さい。

 

今作最大の問題点、すべての元凶は「尺が足りない」

以上。

 

ここに監督のインタビューがある。

www.jiji.com

 

色々ツッコミどころはあるがここで引用したいのは...

脚本は山崎総監督が自ら執筆した。ゲームの要素を過不足なく盛り込んだ内容は前後編、あるいは3部作でも展開可能なボリュームだが、「分けて作る気はなかった。ドラクエだけに関わっているわけにもいかないので」とジョーク交じりに話す。』

 

いわゆる"場を和ませるための冗談"だろうか。ただ問題は「3部作でも展開可能なボリューム」ではなく、実際は「一本では表現不能なボリューム」であったというのが正しい。

今作の対象がドラゴンクエストのファンである事は明らかなので、ゲームの設定についての説明が未プレイのボクにとって足りないと言うつもりは無い。ただし尺不足から様々な点が”飛ばし過ぎ”で、設定が破綻している点は否定できない。(そしてこれは後述する理由によって正当化される)

 

とにかく登場人物に感情移入する暇がない。数分で一つのイベントが終わるのでわんこそばのような忙しさ、味わう時間が無い。主人公の息子が勇者の剣を引き抜いて天空の勇者であった事が分かるシーンなどは一番アツい場面になるはずなのに、一瞬で流れてしまうので「おぉ!...お、おぉ...?」みたいな感じで不完全燃焼。

 

一番訳の分からないのは花嫁選び。ビアンカを取るかフローラを取るかという議論はドラクエ未プレイのボクでも見た事があるけれど、今作主人公の選択は「ビアンカに後押しされつつフローラにプロポーズするも、薬で自分の深層意識にアクセスしたところフローラへの愛は自己暗示に過ぎず、本当はビアンカと結婚すべきだと気が付く。」という「これ監督はフローラ派に目抉り出されて吊るされるんと違うか」という出来になっています。

プロポーズで主人公、フローラ共に幸せの絶頂にいる場面を見せておいて、「やっぱあれ自己暗示だったわ」と全てをかなぐり捨てる主人公ヘの好感度は地の底へまっしぐら。しかもフローラ父に「やっぱ娘さんとは結婚できませんてへぺろ」って伝えるだけで本人とは顔も合わせないし。

ただ、その深層心理に気付かせる薬を主人公に与えたのは実は怪しい魔女に魔法で変身したフローラなので、(原作にフローラとビアンカの強い友情という設定があるのなら)愛より友情を取った感動シーンなのかも。それか映画では語られないフローラ自身の事情があるのか。いずれにせよそんな事情も知らずあっさり乗り変える主人公への評価は変わらないんですが。

 

そして唐突な「妖精に会えば願いを叶えてもらえるが、ロボットに護られているので主人公一人で行かなくてはならない」という展開。ここで「ロボット?似合わないな」「今回の設定ではこうなんだ」「?」というやり取りが不穏の始まり、まあ伏線ですね。

物語終盤の大規模な戦闘シーンは楽しい。元がドット絵のモンスターたちが3DCGになって暴れまわるのはきっと原作ファンが楽しめる部分だと思います。

 

 

そう、ここまでは良いんです。ここまでは。

 

 

なんやかんやあって開き始める魔界の門。勇者である主人公の息子は「この天空の剣をあそこに投げ込めば止められる!」と叫び、みんなで力を合わせて成し遂げます。その刹那、魔界の門から噴き出すデジタルな質感の柱、静止する世界。

戸惑う主人公の前に映画『アイ・ロボット』に出てきそうな外見の魔王ミルドラース(?)が現れます。そこで明かされる衝撃の事実、監督曰く「どんでん返し」は「この世界はただのゲームで、私は魔王ミルドラースのプログラムに侵入したウイルスだ。」

 

とんでもないどんでん返しですね。デウスエクスマキナならぬウィルスエクスマキナです。ウィルスの力でそれまで様々なストーリーを共に歩んできた仲間のテクスチャーがオフにされ、無機質な3Dモデルが露わにされる。世界が脆くも崩壊していく。この辺の表現、演出は「そういうもの」、サイバーSF的な世界としては良くできてます。うん、確かに単体では良いんだけどさ。懐石料理食べてていきなり焼きたてピザ出てくるようなもんなんだよね。

 

天才ハッカーの気まぐれで作られたというウィルスはゲーム世界を崩壊させ、主人公に自分を作ったハッカーからのメッセージ、「大人になれ」と無情に伝える。

現実世界、しがないサラリーマンである自分がVRドラゴンクエストの世界に入るところを思い出す主人公。彼の愛した世界は今目の前のウィルスによって遊び半分で破壊されようとしています。

その時、2時間ずっとぽよぽよ跳ねてたスライムのスラりんが山寺宏一ボイスで突然叫びます。「実は俺は今まで付き添って監視してたアンチウィルスプログラムだったんだ!このワクチンを受け取って奴を倒せ!」

それっぽい剣のシルエットをした”ワクチン”でウィルスを斬り倒し、再びドラクエの世界が戻ってきます。元通りになった仲間たちと再び楽しい時を過ごし、めでたしめでたし・・・

 

 

ってなるわけないだろ!!!

 

流石にここは観客舐め腐ってるだろとキレたくなる部分ですね。100分ほど普通につまらない話を無感動に観ていたらラスト10分で突然ぶん殴られて目を覚まされました。

 

 

ドラクエ既プレイヤーによる今作のレビューで、ボクが観に行くことを決意したきっかけにこの記事があります。ここでの喩えが正鵠を得ている。

 

 

www.cinema2d.net

 

山崎貴監督がやったのは、そういう子どもたちにぬいぐるみを差し出して、子供がすっかり感情移入してぬいぐるみを友達だと思った2時間後に取り上げ、腹を引き裂いて中の綿を引きずり出し「お前、こんなもんただの布だぞ」と踏みつけたあとに「まあそうはいってもぬいぐるみで遊ぶことは否定しないけどね。ぬいぐるみ最高!」みたいなことを言って腹に綿を戻したぬいぐるみを突き返してるようなものだと思う。しかもそのぬいぐるみは、山崎貴監督がデザインしたものでもなんでもないのである。」

 

ただだらだらと2時間続けるだけで終わっていたらこんな話題(問題)作にはならなかったはずなので、人々の話題に上る、記憶に残るという点では山崎監督の試みは成功したと言えるでしょう。

ボクはとにかく今作の全ての問題は「尺が足りなかった」に尽きると思う。インタビューであったように二部作、三部作として余裕を持って制作すれば原作の世界観を3D映画に翻訳しつつ、ある意味でリニューアル作、懐かしいゲームのモダナイズとして名作入りしたのでは無かろうか。そもそもデウスエクスマキナ的どんでん返し(これは古代ギリシア時代からしばしば批判されてきた)はこの二時間で全てを詰め込むという無茶な試みを打破するために絞り出された苦肉の策なので、尺に余裕があれば恐らく選択される事は無かったはずだ。

 

ボクのレビューはここで終わりにするけれど、ドラクエ既プレイヤーによる詳細な解説(批判)はこの記事を参照されたい。claim-mnrt.hatenablog.com

 

この映画を観るためにもう一度劇場へ足を運ぶことは無いけれど、アマプラやネトフリで配信されたら友達と酒を飲みながら観るかもしれない。

ちなみにこの記事書きながらドラクエVのストーリーをエンディングまで詳しく解説してるページ読んで号泣しました。そしてドラクエ既プレイヤーが映画に期待していた物の一端を理解して哀しさがわかった。

 

2019,08,06