ドラクエ未プレイのボクが例の劇場版を見てきた話

ご存知のように、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』がインターネット上で酷評されている。ゲームドラゴンクエストの愛好家にとっては、まるで思い出を踏みにじられたように感じるらしい。ではここで、ドラゴンクエストに何の思い入れもないボクが鑑賞したらどうなるかという疑問が湧いてきたわけで

観て来た。

 

100点満点で採点すると・・・

 

-255/100点  堂々の駄作です

・内訳

演技:+50

グラフィック:+50

脚本:-999

 

いや、良いところは沢山あるんですよ。声優の演技力は素晴らしくて登場人物の感情が良く表現されているし、3DCGグラフィックも滑らかで美しい。

 

ただし山崎監督  テメーは駄目だ

 

前述のとおり素材が良いだけに、すべてを滅茶苦茶にした戦犯として監督がやり玉に挙げられるのはまあ当然の流れかな、と。

いわゆる「駄作」と呼ばれる映画は基本的に「観て得る物がない、つまらない」という作品ですが、今作は監督の遊び心により視聴者の期待を完全に破壊してくる仕上がりで、前者を「消極的駄作」と呼ぶなら今作は「アグレッシブ駄作」と言えるでしょう。知らんけど。

 

さて、ここからはネタバレを含む説明になります。まだ未視聴かつ今後劇場へ行って自分の目で確かめたいと思っている方はここまででお帰り下さい。

 

今作最大の問題点、すべての元凶は「尺が足りない」

以上。

 

ここに監督のインタビューがある。

www.jiji.com

 

色々ツッコミどころはあるがここで引用したいのは...

脚本は山崎総監督が自ら執筆した。ゲームの要素を過不足なく盛り込んだ内容は前後編、あるいは3部作でも展開可能なボリュームだが、「分けて作る気はなかった。ドラクエだけに関わっているわけにもいかないので」とジョーク交じりに話す。』

 

いわゆる"場を和ませるための冗談"だろうか。ただ問題は「3部作でも展開可能なボリューム」ではなく、実際は「一本では表現不能なボリューム」であったというのが正しい。

今作の対象がドラゴンクエストのファンである事は明らかなので、ゲームの設定についての説明が未プレイのボクにとって足りないと言うつもりは無い。ただし尺不足から様々な点が”飛ばし過ぎ”で、設定が破綻している点は否定できない。(そしてこれは後述する理由によって正当化される)

 

とにかく登場人物に感情移入する暇がない。数分で一つのイベントが終わるのでわんこそばのような忙しさ、味わう時間が無い。主人公の息子が勇者の剣を引き抜いて天空の勇者であった事が分かるシーンなどは一番アツい場面になるはずなのに、一瞬で流れてしまうので「おぉ!...お、おぉ...?」みたいな感じで不完全燃焼。

 

一番訳の分からないのは花嫁選び。ビアンカを取るかフローラを取るかという議論はドラクエ未プレイのボクでも見た事があるけれど、今作主人公の選択は「ビアンカに後押しされつつフローラにプロポーズするも、薬で自分の深層意識にアクセスしたところフローラへの愛は自己暗示に過ぎず、本当はビアンカと結婚すべきだと気が付く。」という「これ監督はフローラ派に目抉り出されて吊るされるんと違うか」という出来になっています。

プロポーズで主人公、フローラ共に幸せの絶頂にいる場面を見せておいて、「やっぱあれ自己暗示だったわ」と全てをかなぐり捨てる主人公ヘの好感度は地の底へまっしぐら。しかもフローラ父に「やっぱ娘さんとは結婚できませんてへぺろ」って伝えるだけで本人とは顔も合わせないし。

ただ、その深層心理に気付かせる薬を主人公に与えたのは実は怪しい魔女に魔法で変身したフローラなので、(原作にフローラとビアンカの強い友情という設定があるのなら)愛より友情を取った感動シーンなのかも。それか映画では語られないフローラ自身の事情があるのか。いずれにせよそんな事情も知らずあっさり乗り変える主人公への評価は変わらないんですが。

 

そして唐突な「妖精に会えば願いを叶えてもらえるが、ロボットに護られているので主人公一人で行かなくてはならない」という展開。ここで「ロボット?似合わないな」「今回の設定ではこうなんだ」「?」というやり取りが不穏の始まり、まあ伏線ですね。

物語終盤の大規模な戦闘シーンは楽しい。元がドット絵のモンスターたちが3DCGになって暴れまわるのはきっと原作ファンが楽しめる部分だと思います。

 

 

そう、ここまでは良いんです。ここまでは。

 

 

なんやかんやあって開き始める魔界の門。勇者である主人公の息子は「この天空の剣をあそこに投げ込めば止められる!」と叫び、みんなで力を合わせて成し遂げます。その刹那、魔界の門から噴き出すデジタルな質感の柱、静止する世界。

戸惑う主人公の前に映画『アイ・ロボット』に出てきそうな外見の魔王ミルドラース(?)が現れます。そこで明かされる衝撃の事実、監督曰く「どんでん返し」は「この世界はただのゲームで、私は魔王ミルドラースのプログラムに侵入したウイルスだ。」

 

とんでもないどんでん返しですね。デウスエクスマキナならぬウィルスエクスマキナです。ウィルスの力でそれまで様々なストーリーを共に歩んできた仲間のテクスチャーがオフにされ、無機質な3Dモデルが露わにされる。世界が脆くも崩壊していく。この辺の表現、演出は「そういうもの」、サイバーSF的な世界としては良くできてます。うん、確かに単体では良いんだけどさ。懐石料理食べてていきなり焼きたてピザ出てくるようなもんなんだよね。

 

天才ハッカーの気まぐれで作られたというウィルスはゲーム世界を崩壊させ、主人公に自分を作ったハッカーからのメッセージ、「大人になれ」と無情に伝える。

現実世界、しがないサラリーマンである自分がVRドラゴンクエストの世界に入るところを思い出す主人公。彼の愛した世界は今目の前のウィルスによって遊び半分で破壊されようとしています。

その時、2時間ずっとぽよぽよ跳ねてたスライムのスラりんが山寺宏一ボイスで突然叫びます。「実は俺は今まで付き添って監視してたアンチウィルスプログラムだったんだ!このワクチンを受け取って奴を倒せ!」

それっぽい剣のシルエットをした”ワクチン”でウィルスを斬り倒し、再びドラクエの世界が戻ってきます。元通りになった仲間たちと再び楽しい時を過ごし、めでたしめでたし・・・

 

 

ってなるわけないだろ!!!

 

流石にここは観客舐め腐ってるだろとキレたくなる部分ですね。100分ほど普通につまらない話を無感動に観ていたらラスト10分で突然ぶん殴られて目を覚まされました。

 

 

ドラクエ既プレイヤーによる今作のレビューで、ボクが観に行くことを決意したきっかけにこの記事があります。ここでの喩えが正鵠を得ている。

 

 

www.cinema2d.net

 

山崎貴監督がやったのは、そういう子どもたちにぬいぐるみを差し出して、子供がすっかり感情移入してぬいぐるみを友達だと思った2時間後に取り上げ、腹を引き裂いて中の綿を引きずり出し「お前、こんなもんただの布だぞ」と踏みつけたあとに「まあそうはいってもぬいぐるみで遊ぶことは否定しないけどね。ぬいぐるみ最高!」みたいなことを言って腹に綿を戻したぬいぐるみを突き返してるようなものだと思う。しかもそのぬいぐるみは、山崎貴監督がデザインしたものでもなんでもないのである。」

 

ただだらだらと2時間続けるだけで終わっていたらこんな話題(問題)作にはならなかったはずなので、人々の話題に上る、記憶に残るという点では山崎監督の試みは成功したと言えるでしょう。

ボクはとにかく今作の全ての問題は「尺が足りなかった」に尽きると思う。インタビューであったように二部作、三部作として余裕を持って制作すれば原作の世界観を3D映画に翻訳しつつ、ある意味でリニューアル作、懐かしいゲームのモダナイズとして名作入りしたのでは無かろうか。そもそもデウスエクスマキナ的どんでん返し(これは古代ギリシア時代からしばしば批判されてきた)はこの二時間で全てを詰め込むという無茶な試みを打破するために絞り出された苦肉の策なので、尺に余裕があれば恐らく選択される事は無かったはずだ。

 

ボクのレビューはここで終わりにするけれど、ドラクエ既プレイヤーによる詳細な解説(批判)はこの記事を参照されたい。claim-mnrt.hatenablog.com

 

この映画を観るためにもう一度劇場へ足を運ぶことは無いけれど、アマプラやネトフリで配信されたら友達と酒を飲みながら観るかもしれない。

ちなみにこの記事書きながらドラクエVのストーリーをエンディングまで詳しく解説してるページ読んで号泣しました。そしてドラクエ既プレイヤーが映画に期待していた物の一端を理解して哀しさがわかった。

 

2019,08,06

DXM体験談:ボクが幻覚剤で”曜日”になった話

デキストロメトルファン(DXM)は鎮咳剤としてブロンエースやコンタックなどに使われているのだけど、通常量の数倍摂取すると幻覚作用が現れます。通常量は一回30mgを一日二回って感じかな。過去に二回試したのでその経験を書き残しておこうと思います。

 

ちなみに5ちゃんねるのDXMスレテンプレは

①摂取量 1.5 ~ 2.5 mg/kg. (第1プラトー)
アルコールを中程度摂取した場合に似る。穏やかなエフェクトを体験できる。音楽の聞こえ方や運動感覚の微妙な変化、気分の上昇、(気分により良くも悪くも)若干の酔いが起こる。
(ろれつが回らなくなり)話すのが難しくなる。記憶への影響は通常気づかない程度だが、作用している間の短期の記憶や学んだりすることは難しくなる。
踊ったり音楽を聴くのは楽しめる。ただ、ダンス等の運動のやり過ぎは好ましくない。

②摂取量 2.5 ~ 7.5 mg/kg. (第2プラトー)
①に似ており、より顕著に効果が現れる形となる。
より強い酔いや、物が二重に見えたり、運動感覚の変化、現実からかい離した感覚(この量ではまだ通常の状態を保てる者が多い)、浮遊感やCEV(閉眼時の幻覚)、直前の記憶の健忘が一般的に生じる。多くの者はまだ会話可能である。

③摂取量 7.5 ~ 15 mg/kg. (第3プラトー)
基本的には②を強めた状態になり、解離はかなり生じる。
現実から完全に解離し、時間感覚の変化と強烈な酔いが生じる。
記憶したり認識するといったことはかなり難しくなり、反応速度は極めて遅くなる。
自我はほぼ消えかける(自分自身の行動を遠くから見ているようになる)。慣れてないものはパニックを起こすこともある。
特に解離性薬物に不慣れな者に対しては③以上は極めて強烈で過剰である。
決して公共の場で行ったり、危険な運動はしないこと。

④摂取量 15 ~ 17 mg/kg (第4プラトー)
完全に体から精神がかい離した状態。解離性麻酔を受けている状態。自我は完全に消滅する。身体感覚が全くなくなる。
多くのユーザーにとってこれは過剰ともいえる状態である。
ほぼ、あるいは完全に現実感を失い、緊急の事態に対し全く反応ができなくなるため、アシスタントの存在が不可欠である。

 

との事。ボクの体重は50kgなので、360mgは7.2mg/kg、720mgは14.4mg/kgになります。

 

一回目:360mg

酒に酔ったような酩酊感。吐き気は特になし。

手足が異常に軽く、棒人間になったような感覚。そのため歩き方がめちゃくちゃになる。壁に手をつきながらトイレへ行く。

目をつぶって音楽を聴くと自分が溶けて音楽と混ざり合うのを感じた。

物が二重に見える。閉眼幻視は無し。

携帯画面がやけに大きい。手が思い通りに動かないのでパスコードを何度も打ち間違える。

 

こんな感じ。現実から離れる事もないので、感覚の変化と酩酊感を楽しむレクリエーショナルなトリップ。身体への負担に見合うとは思わないので今後やるつもりは特にない。

 

二回目:720mg

飲んでしばらくしてから酩酊感と吐き気。

気が付いたら”曜日”になっていた。

今日のボクは木曜日。カレンダーがめくられると金曜日になる。ただ曜日という概念。

思考も感情も(当然曜日には)無く、ただ曜日として二週間ほど過ごした。

言語化するのは完全に不可能だし自身で思い出す事も難しいのだけれど、唯一視覚的イメージとして残っているのは、ロンドンの古びたバーの隅に掛けられている日めくりカレンダー。おじいちゃんのマスターがそれをめくるたびに、ボクは次の曜日になる。

現実世界で服用から5時間後、自分の部屋で目を覚ます。天井、照明。「知らない天井だ...。」人間としての自我がまだ取り戻されていない。

床に敷いた布団の上で身体を起こす。おそらく眼圧が上がっているためか視界は奇妙に歪んでいる。歪んでいるという言葉は適切ではないかもしれない。DMTやLSDのように物の輪郭が曲がっているのではなく、割れたガラスを通して見るように、視野のつじつまが合っていない。ベッドの真っすぐな柵は右からは床と平行に、左からは45°傾いているため中央では噛み合っていない。医学的知識が無いのだけれど、左右で眼圧が異なっているためじゃないかと思う。

枕元にゲロ用のボウルを置いていたけれど、その下に丁寧に吐いていた。ボウルをどかして吐いてから元の場所に戻したようにしか見えないけれど、記憶は無い。

声を出すと面白い。普通発声するには脳で言葉を考えて、肺からの息で声帯を震わせ...という一瞬のタイムラグがあるのだけれど、今は何かを言おうとした瞬間に言葉が出る。

身体感覚の変化は360mgの時より激しく、立っているのか這っているのかわからない状態でトイレへ行く。

ちなみに高用量で幻覚剤を用いる際にはおむつを着けておいた方が良い。この時も着けていたけれど、歩く余裕があったのでトイレへ行った。

相変わらずスマホを操作するのは難しい。そのためDMTの時と違ってトリップ中のメモは無い。

DMTと同じ脳がピリピリする感覚があったので、目を瞑るとわずかに閉眼幻視。暗い色の単純なパターンが見えた。アイヌ模様に近いが特に面白みは無い。

 

 

こんな感じでした。「銀河を旅する」との経験談を聞いていたけど「曜日になる」だけだったし、離人症にもならなかった。DMTは様々なサイケデリックなビジョンや宇宙に翻弄され、現実世界から離れる時も神秘的でファンタスティックな経験が多いけれど、DXMは「曜日になる」というあまりにも不条理なカフカ的経験が出来たのでまあ面白い体験ではありました。もう一度ゲロ吐きながら曜日になりたいとは思わないけれど。

身体への負担がかなり大きそうに感じました。以上。

 

質問があればコメントでもツイッターでも。

 

2019/06/08

映画『ドクター・ストレンジ』は見る幻覚剤

映画『ドクター・ストレンジ』やっと観ました。時折話しているように、実は二年前にサイゴンへ行く機上で観たのだけれど残り30分という所でタンソンニャット空港に到着してしまい観終われず。それから2年間ずっと心の片隅にもやもやした部分を抱いて生きていました。すっきりしたぜ、イェイ!

 

さて、この映画は基本的に幻覚剤のトリップが表現されています。作中で幻覚剤を使う場面はないけれど、そもそも映画自体の構成が幻覚剤経験者なら「あ、これスタッフサイケ経験者だな」とニヤつける作り。後述するけど製作者側も作中で匂わせています。

 

以下の文章は映画のネタバレを大いに含みます。スポイルされたくない方は映画視聴後にお読みください。

 

さて、作中で一番露骨に「幻覚剤っぽさ」が出るのはカマータージでストレンジが初めてエンシェント・ワンと出会う場面ですね。ストレンジも「幻覚作用のある茶を飲ませたのか?」と言っていますが、あそこは多分エンシェント・ワンの言う通りただのはちみつ入りのお茶だと思います。エンシェント・ワンにどつかれて一瞬アストラル体が物理的な身体から抜け出す体外離脱体験、そしてその間時間は非常にゆっくり流れます。これはDMTなどの幻覚剤で頻繁に経験されます。身体に戻ってからまだ懐疑的なストレンジはさらにエンシェント・ワンの力で異世界に吹っ飛ばされます。

まるで『2001年宇宙の旅』のスターゲートのような場所を通り抜けてから色々と異様な光景の中を漂うストレンジですが、ここはまあ普通に想像できるいかにもなサイケデリックの世界でしょう。幻覚剤の中でも、あの世界はLSDよりDMTやサルビノリンに近いような気がします。

劇中の幻覚剤的描写はこれだけにとどまりません。まず、魔術師同士が街中で戦うシーンが何度かありますが、あの際に変形させられる街中のビルなどの姿は幻覚剤の幻視に大変良く似ています。建物が波打ち、歪み、ねじ曲がりながら有機的に変形していく様子は実にLSD的です。LSDやDMTは身体感覚を歪めたり無くしたりするため、劇中のように重力への不信感が生まれ上下がわからなくなったりします。教会の窓は万華鏡のように七色の光が踊っています。また、風景のどの部分も静止する事なく常に動き続けているのも幻覚剤での幻視を思い起こさせます。

この戦闘シーンで世界の向きを変えられたストレンジがバスの"横に落ちる"のですが、その際車内でおじいさんが「こりゃ傑作だ!」と笑いながら読んでいるのが『知覚の扉』。『知覚の扉』は『すばらしき新世界』などを書いたイギリスの作家オルダス・ハクスリーの著書で、ペヨーテサボテンに含まれる幻覚剤メスカリンを使用した時の体験レポートになっています。見逃しそうな一瞬の小ネタですが、これが映画『ドクター・ストレンジ』は幻覚剤を意識して作ってますよ〜という制作陣からのメッセージですね。

さて、自然の理を犯す時間操作の秘術を身に付けたストレンジが暗黒次元のラスボス、ドルマムゥと対決する訳ですが、この場面も大変幻覚剤的です。この場面で扱われているのは時間のループ。これはDMTを始めとして多くの幻覚剤で現れ、しばしば恐怖心を抱かせます。強大な力を持ちとてもまともに戦えないドルマムゥを相手にストレンジが使った作戦が、この時間のループでした。

「取引に来た」というストレンジですが一瞬でドルマムゥにひねり殺されます。あっけないです。しかし次の瞬間に時間が戻り、再び「取引に来た」と言いながら歩いてくるストレンジ。ドルマムゥは先ほどと同じセリフではねつけようとしますが、「何かがおかしい…?」と気が付きます。この時点ではデジャヴ程度ですね。同じ事を何度も繰り返し、その度にストレンジは呆気なく殺されるのですが次の瞬間にはまた元のように歩いてくる。ここで初めてドルマムゥは恐怖を抱きます。

暗黒次元という世界そのものから力を得ているドルマムゥは不死です。しかしながらこのままでは無限にループにとらわれ、永遠にただストレンジを殺す事だけを繰り返す事になってしまいます。ここでドルマムゥは根負けし、「何が望みだ」とストレンジに対して折れる事になります。ストレンジの出した条件は、「地球にもう手を出さない事、ドルマムゥの下で暴れまわっているカエシリウスらを地球からつまみ出す事」でドルマムゥがこれに応じ、ストレンジは見事地球を救います。

幻覚剤で現れる時間、世界のループは体験しないとわからない恐怖があります。それは死すべきものである人間が通常味わう事のない無限への恐怖、世界から切り離される孤独です。

さて、こうした点でこの映画『ドクター・ストレンジ』は、恐らく幻覚剤の経験者と非経験者では全く受け取り方が違うんじゃあないかと思いながら観ていました。面白かった(小並感)

幻覚剤による「生まれなおし」経験:ネオ鏡像段階という概念の提唱

幻覚剤によるトリップの経験者が、「もう一度生まれなおしたようだ」と語る事が多い。目に映るもの全てが新鮮に思え、ただ散歩するだけでも世界の美しさに感動するものだ。

私は、これが鏡像段階の再経験に起因すると考えている。そのためにまず鏡像段階について説明しよう。鏡像段階はフランスの思想家であり精神科医ジャック・ラカンによって提唱された概念である。多くの動物と違い、人間は自分の身体すら満足に動かせない非常に未熟な状態で産まれてくる。そのため、出産直後の赤子は我々の持つ、所謂自我というものを持たない。ではどのようにして自我を獲得するのだろうか?

ラカンはこの自我獲得が「鏡に映った姿」を通して修得されると主張した。ここでいう鏡は文字通りの意味ではなく、メタファーである。

自我を獲得していない赤子は自身と他者の違いを知らず、区別する事がない。自分の身体がどのような姿をしているかも知らない。鏡を見るまでは。

多くの赤子が初めて触れる他者は母親だろう。勿論その他のケースもあるが、ここでは「人生の最初期段階において最も密接に接触する人物」という意味で母親という語を用いる事とする。

赤子にとって、目に映るすべての物は等しく意味を持ち、また等しく無意味である。それは各オブジェクトを命名し、優先順位を付ける能力を持たないからだが、オブジェクトの命名という行為には各オブジェクトの差異を特定し、分類する事が必要となる。出産直後の赤子はそうした区別を持たない。

さて、私はこの状況が、幻覚剤によるトリップの状態と非常に近いと考えている。幻覚剤によって身体感覚を喪失した人間は、自他の境界を見失い、宇宙の事物全てが溶けあう様子を知覚する。こうした幻覚剤によるトリップを「死の疑似体験」と呼ぶ事がしばしばある。「死」という言葉を使うと「人生を終えた後に訪れる生を持たない状態」という意味を帯びるが、あくまで「生を持たない状態」と考えれば、これはこの世に生を受ける前の赤子と同じ状態だ。

即ち、幻覚剤によって生を失い、この世に生を受け、自他の境界を探りつつ自我を獲得するプロセスはまさしく赤子がこの世に生を受ける段階と等しい物なのである。これを「生まれなおす」体験と表現するのは的を得たものに思われる。

では、その自我をどうやって獲得するかに話を移そう。赤子が自我を獲得する手段は「同一化」である。発達の初期段階において自他の境界を持たない赤子は、まず母親の姿を見て自分の一部と考える。母親がいないと不安になって泣くのは、自身の一部を喪失しているためである。

「私は私である」という意識を養うのは、自身の姿を認める母親の目を通して行われる成長である。母親は繰り返し、「お前はジャック(ここには当人の名前があてはめられる)だよ」と語りかける。初めはその意味を理解できないが、次第にその語りかけが「私であるジャック」と「私ではないもの」の区別を生み出すのだとわかりはじめる。これが赤子にとって初めての、世界の物事の切り分けである。「お前はジャックだよ」という語りかけは、即ち「私はジャックではない」という母の言葉であり、それまで母と自身が同一の存在であると思い込んでいた赤子の考えを否定する事である。この時点で、それまで母親と同一化していたジャック君は「母親がジャックと呼ぶもの」に同一化するよう切り替える。これはあくまで母の目に映ったジャックというものを対象とした同一化であり、自分そのものを見ながら行うものではない。人間は鏡なしに自分の顔を見る事が出来ないため、ここでは母の目という鏡に映った自身の像に同一化を始める。これが鏡像段階である。

幻覚剤のトリップはこれに近いが、同一化する対象が「母の目を通した私」ではなく「私の目を通した私」である点において異なる。成人した我々は既に自己イメージを獲得しており、幻覚剤でのトリップによって一時的にそれを手放す。鏡像段階の赤子は「母親を通した私」を足掛かりに自我を作り上げるが、幻覚剤でのトリップにその母親はいない。トリップからの回復段階で、正気に戻りつつある人間は自己イメージを少しずつ取り戻し、「私」がどのような形をしているのか自己参照する。これは構造としては鏡像段階に近いが、参照する先が「他者の目を通した私」ではなく「私の目を通した私」であるという点で異なり、これをネオ鏡像段階と呼びたい。

ネオ鏡像段階において、自我の再獲得と同時にメタ認知の再獲得も行われる。「私は今、「私の目を通した私」を参照しながら自我を取り戻している。」という認識は、本来の鏡像段階では得られない過程である。この経験が幻覚剤の使用者に対し、事物の存在についてのより深い考察を与えるものだと考える。即ち、境界が存在しないと思われた自己イメージを取り戻す過程をメタ認知機能によるある種第三者的な視点で観察した経験から、物事の境界を定める過程についてそれと比較しながら考える能力を身に付ける為である。

以上、幻覚剤使用者が報告する「生まれなおす」経験について考察した。幻覚剤の使用後数日以上続くこの感覚は薬理的な影響で与えられるものではなく、トリップ中に経験するネオ鏡像段階に起因すると主張するものである。

 

2019/4/3 

 

免許合宿を振り返る。

 

申し込み

合宿で免許を取った。折角なのでどんな生活だったか記録を残しておこう。あまり面白みのない記事だけど、まだ免許を取っていない人は参考に、もう免許を持っている人は教習所時代を思い出しながら読んでほしい。

ボクは何か月も教習所に通うのではなく、二週間で免許が取得できる合宿免許を選んだ。楽だもん。発達障害者が自分で予約管理しながら通うとかムリムリムリムリカタツムリ!

料金はほぼ30万円だった。ここには試験の受験料、寮費、交通費などが含まれる。教習所は香川県だが、そこまでの交通費は学校が支給してくれるとの事。京都からは新幹線を利用した旅費が支給されるが、高速バスを使えば教習料金が5000円引きになると言われ、そうした。この貧乏性があとで少し困ったことになる。

申し込みからしばらく経ち、詳しい予定表が送られてきた。

以下の交通ルートの往復料金が卒業時に学校より支給されます。

JR京都線快速)JR京都駅 5:43発 ⇒ 大阪駅 6:19着 

(高速バス:さぬきエクスプレス)阪急梅田 7:10発 ⇒ 丸亀駅 11:23着

集合時間 11:30 丸亀駅集合 スクールバスがお迎えに参ります。

集合時間に遅れると入校できない場合がございます。

 

・・・は? どうやったら朝5:43に京都駅を出られるんですかね(困惑)この時間、ボクの家の近くから京都駅に行く交通機関はまだ始発が出ていない。なのでサポートセンターに電話してみた。

「えーっとですね、あのー、お送りいただいた案内書の、えー交通手段という欄にですね、京都駅を5:43に出発すると書かれているんですけれども、あー、その時間に出発する手段というのが、えー無いわけでして。」

「11:30に丸亀駅よりスクールバスが出発いたしますので、それまでにご到着いただきたいという形になっております。」

「なるほど。つまり、えー例えば前日に大阪へ行っておいて、当日7:10発のバスに乗るだとか、そういった形でも問題なく交通費自体は支給されると、えー言う認識でよろしいんでしょうか。」

「それに伴う宿泊費などは補償できませんが、とにかく11:30に丸亀駅に到着するようお越しいただければ問題ございません。」

「ああ、その点は大丈夫です。わかりました、どうも、失礼します。」

はい。  はいじゃないが。

そういうわけで梅田駅に近いカプセルホテルを予約した。一泊2300円なので、新幹線じゃなく高速バスを選ぶことで値引きされた5000円から引いてもまあ2700円は浮いたことになる。モーマンタイ。

 

教習開始まで

ここまでが申し込み。続いて当日に移ろう。

入校前日、夕方に大阪へ向かい、カプセルイン大阪にチェックインした。ここは日本で最初に開業した歴史あるカプセルホテルで、なかなか歴史のある施設だ。設備は悪くなく、価格も安い。なにより梅田駅から徒歩10分程度の立地が良い。宿泊者は併設されているスパ・サウナが自由に使えるので、ゆったり羽を伸ばした。ちなみにホテルのすぐ隣にまんだらけがある。伊藤計劃についての本、渚カヲルについての本、そしてBL小説を一冊一目惚れして買った。なんでこのタイミングで荷物増やしてんだよお前。

伊藤計劃虐殺器官しか読んでいないが、購入した本に収録されていた未公開短編「海と孤島」は面白かった。六本木で発狂した男が自身の「王国」を構え、人々に無視されたまま猫の肉を喰いつつひたすらオナニーし続ける小説で、脱糞忍者テイストの色濃い名作だった。

 

さて、入校当日。遠足の前日のように緊張してよく眠れなかったボクは朝5時半ころ、アラームの前に目が覚め、パンをかじりながらカヲルくんについての知識を身に付け、バス停へ向かった。

初めて乗る高速バスは悪くなかった。シートは三列で、それぞれの間に人が通れるほどの間隔があいている。車両後部のトイレにいつでもアクセスできるのは頻尿のボクにとってありがたい。何より嬉しいのは巨大で重いキャリーバッグをトランクへしまえることで、この点では自分で荷物を管理する必要のある電車よりずっとありがたかった。大阪駅を出発したバスはなんば、三宮に立ち寄り客を拾うが乗客は少なく、40人程乗れるバスに乗ったのは10人以下だった。バスは5時間ほど走り、終点丸亀駅へ向かう。一つ問題が発生した。交通状況の影響で、バスの到着が少し遅れるらしい。「少し」が5分なのか10分なのか、はたまた30分近くなるのかわからないが、運転手に聞いてもおそらく意味がないだろう。予定ではバスが11:23に丸亀駅へ到着し、そこからスクールバスが11:30に発車するのだから7分しか猶予が無い。「集合時間に遅れると入校できない場合がございます。」などと脅されているので怖くなってきた。こういう時はとりあえず電話してみよう。

「あー、もしもし。えーとですね、本日入校予定のうおとかと申します。事前に頂いた案内書でですね、えー集合時間が11:30に丸亀駅とあるんですが、えー現在乗っているバスが少々遅れるかもしれないという事でして、そのー集合時間に間に合わない可能性があるんです。」

「それでしたら・・・12時ころに車の方向かわせますので、えー到着しましたら、その時間までお待ちください。ご連絡いただきましてありがとうございます。」

みんなも遅刻するときは連絡を入れようね!(啓蒙)

そんなこんなで11:40頃丸亀駅に着いた。ドトールでも無いかと思ったが何もない。商店街まで重い荷物を引きずるのも嫌だったので、駅でぼんやり待つ事にした。京都と違って既に春の暖かさで、たまらずコートを脱いでゆったり日光浴をした。

12時を5分程過ぎた頃、迎えのヴァンが来る。自動車学校までは10分程度かかった。学校に入り、荷物を置き、写真を撮り、書類にサインする。その後すぐ説明が行われている教室へ案内された。定刻通り到着していた生徒に混じり、説明の最後の部分のみ聞く。5分程度で説明会が終わり、場所を移して先生がボクのために残りの説明を繰り返してくれた。寮の入り口はカードキーを使ったオートロック式で、共用の流し台、電子レンジ、電気ポット、冷蔵庫がある。ロシア留学で集団生活に懲りたため少し割高な個室プランを選んだが、悪くない部屋で充分快適に過ごすことができた。部屋は一般的なビジネスホテルに近く、ベッド、机、テレビ、ユニットバスが備えられている。

 

教習開始:第一段階

荷物を広げて巣作りを終えたら、直ぐに学科教習が始まった。教室は一般的な小講義室と変わらない。1コマ50分の授業はまず20~30分の間講師が教科書の解説をし、後半は解説ビデオを見るスタイルだった。そうそう、毎時間教習前に「教習原簿」というものを教卓に提出する必要がある。

教習原簿は写真のついた書類で、視力、色盲検査の結果、生年月日や本籍などのプロフィールが1ページ目に書かれている。2ページ目以降は教習内容が書かれていて、教習が終わるごとに教官が押印する。学科は第一段階10時間、第二段階16時間、技能は第一段階15時間、第二段階19時間にわかれており、教習を進め判子を集めるとスタンプラリーのようで楽しい。また、原簿には「みきわめ」のチェック欄もある。みきわめについては後述する。

技能教習の最初の2時間はシミュレータを使った基本操作の練習になる。ゲームセンターに置かれたレースゲームの筐体に似ているが、ライトやワイパーの操作がある事、クラッチペダルがある事など、より実車に近い造りとなっている。MT教習者のほとんどはここで人生初のクラッチ操作に向き合う事となり、大抵エンスト(エンジンストール)を経験する。車体の振動などが再現されていない分、実車よりエンストしやすいと思う。MT免許取得者の中にはエンスト直前のあのガクガクした揺れがトラウマになっている人もいるらしい。

技能試験は3時限目から実車教習となる、が、最初に乗るのはAT車だ。ここで教習所内コースを走りつつ、ハンドル操作などを学ぶ。MT教習者が気楽に運転できるのはここまでだぞ。

うちの学校では、技能教習の場合開始時間3分前くらいまでにロビーに集まり、教官たちがわらわらと教員室から出ながら教習生の名前を呼ぶ。誰がその時間の担当になるか呼ばれるまでわからないため、割と緊張する時間だ。

4時限目からMT車での教習が始まる。アクセルペダルを離し、クラッチペダルを底まで踏み込み、ギアを変え、アクセルを少し踏んでエンジンの回転数を維持しつつ半クラ状態からゆっくりクラッチペダルを戻していく......。クラッチペダルをしっかり踏み込まなかったり、エンジンの回転数が充分でない内にクラッチペダルを上げると即座にエンジンが止まる。半クラ状態から急いでクラッチペダルを上げると変速ショックで車から投げ出されそうなほど揺れる。とてもハンドル操作どころではない。身体が覚えれば勝手に動いてくれるようになるので、今はひたすら慣れるまで繰り返そう。

屋根の上に「検定中」と書かれたプレートを乗せている教習車は、修了検定、もしくは卒業検定中の車だ。邪魔をすると死ぬまで恨まれる事になるので充分距離をとってあげよう。

10時限目くらいから無線教習も始まる。普通助手席に教官が座った状態で教習するが、無線教習では無線で指示を受けつつ一人で運転する事になる。正直めちゃくちゃ気楽。無線教習の場合教官1人に対して3人程度の教習生が同時に行うので、無線での指示が遅れる事がある。気にせずのんびり走ろう。一人で運転する開放感があるからと言って、無線が繋がってるから歌いながら運転したりすると丸聞こえで恥ずかしいぞ。

教習は14時限目までで、15時限目は「みきわめ」になる。これは一種のテストで、仮免試験(仮免の技能試験は修了検定と呼ばれる)前に必須のものだ。安全確認、一時停止、基本操作などのチェック項目が満たされているかを見極められる。ボクの場合この時の教官が嫌味な人で、何かできない事があると「他の教官の教習でちゃんと教えられて無かったのか?」と繰り返された。まあ見極めは合格。終わった後、翌日の修了検定のためにダメ出しされるアドバイスを頂く事ができる。また、修了検定の前に「効果測定」も受験する必要がある。これは学科版見極めとも言える仮免学科試験の模試のようなもので、合格して原簿に判子をもらわないと仮免試験は受験できない。最近はパソコンを使って試験を行う所が多いそうで、わりと気楽に受けられる。ボクは一度落ちた。この効果測定は何度でも受けられるので、あまり気張らずに取り組もう。相当の天才でなければ一度講義を聞いただけで全て記憶したりできないので、携帯アプリとかで空き時間に勉強しよう。ほぼ実際の問題と同じものが無料でトレーニングできる。

 

修了検定

修了検定は3つのコースが用意されていて、どれにあたるかは直前に指示される。このコースは暗記していなくても隣で教官が教えてくれるが、余裕を持って運転するためにはある程度覚えておいたほうが安心できるだろう。また、場内の各交差点には番号が割り振られていて、教官が「3番を左」「6番を直進」などと指示するため、当日パニックにならないためこれは覚えておいたほうが良い。検定コースには進路変更して回避すべき障害物(駐車車両)、信号のある交差点、見通しの悪い交差点、踏切、一時停止などがあり、その対応が採点される。またS字やクランクといった「狭路」も全てのコースに設定されている。多くの教習生を苦しめた脱輪スポットだが、車体感覚をつかむ慣れしか対処方法はない。どの線が窓やミラーのどこどこに見えた点でハンドルを回す、といった教え方をされるので、教えられた事は必ず書き取り、繰り返しイメトレしよう。車に乗る時は周囲の安全を確認して乗り込み⇒座席の位置を調節し⇒ミラーを調節し⇒シートベルトを締めるまでの手順も採点対象になる。一連の流れはイメトレを繰り返して身体に覚えこませよう。直線部分では指示速度35km/hまで加速する事になるが、距離が短いのでクラッチ操作がとても忙しい。速度未達は減点対象となる。あせらず...と言っても多分あせるので、あくまで冷静に操作しよう。

修了検定が終わるとロビーで待たされ、他の教習生が終わるまで待つ事になる。全て終われば教官が出てきて、合格者の番号を呼ぶ。「全員合格!」という事もあれば、「合格者はMT1、2、4、5。ATは全員合格」という事もある。こうなると落ちた人間は精神的ダメージ絶大だが、めげずに頑張ろう。

無事修了検定に合格すれば、そのまま続けて学科試験の教室に案内される。この仮免学科試験はかなり難易度が低いので、ひっかけ問題に気を付ければそう難しくない。しばしばネタにされるが、免許の学科試験は本当にひっかけ問題が多い。問題製作者は脳みその代わりに腐ったかぼちゃプリンでも詰まってるんだろうと思う。人間という種が持ちうる意地悪さの結晶ともいえる究極の悪問なので、覚悟した上で作問者の意地悪さを鼻で笑って解こう。

修了検定に合格すれば、そのまま仮免許証を受け取ることができる。仮免許証には写真、氏名、生年月日、住所、本籍、またメガネ着用等の条件があればそれも記載されている。合宿生など、スケジュールを詰めている場合、昼にこの仮免を受け取ったらその日の午後から路上を走る事になる。ここからが教習の第二段階だ。

第二段階

路上教習は教習所内より遥かに楽に走れる。常に数十メーター間隔でカーブがあるわけでもないし、道幅はずっと広いので50km/hくらい出しても場内とはスピード感が全く違う。操作は場内より楽だが、アクシデントの機会は多いので総合的な難しさで言えば変わらないかもしれない。高齢者の運転する車はとにかく危ないので、高齢者マークを見たら警戒度をMAXにする事。自転車も歩行者もとにかく高齢者は危ない。教官から「トコヤ」は事故の危険が高まるので気を付けるように言われた。つまり「年寄り」「高速走行」「夜間」からトコヤ。老人は危険察知能力が衰えるため、運転に限らず畑仕事中に熱中症で死んだり、台風の時に畑を見に行って死んだりする。ボクの故郷である長野県......もといロシアでは、毎年屋根の雪下ろし中に転落死する老人が冬の風物詩となっている。勝手にくたばってもらう分には構わないけれど、路上ではこっちが巻き込まれるので充分に注意しよう。この第二段階では、路上を走りつつ卒業検定の3つのコースを教えてもらう。車線変更をするポイント、駐車場所、カーブミラーの場所などは地図に書き込んでおこう。

第二段階では、路上教習の他に教習所内で方向転換と縦列駐車の教習もあり、卒業検定ではこの二つのうちどちらか片方のみが行われる。狭路の時と同じく、ここでも「どの線がどこどこに来たらハンドルを切る/戻す」といった指導を受けるので、必ず書き留めてイメトレで復習しよう。

第二段階には高速教習があり、高速道路を走る機会がある。通常3人程度が一つの車に乗って交代しつつ実施するが、ボクの場合他にMT車の教習生がいなかった、と言って教官とマンツーマンの教習になった。そのため高速教習はインターチェンジまでの下道路上教習を含めて通常3時間の連続で行うが、ボクは2時間で終わって一時間余分に通常の路上教習を受ける事が出来た。高速道路には横断歩道も交差点もないので、通常の路上教習よりはるかに易しい。高速走行時は少しハンドルを切っただけで大きく曲がるので、走行位置がズレないようにだけ注意しよう。

第二段階の教習を18時間終えれば、再びみきわめがある。学校によって違うかもしれないけれど、みきわめのチェック項目は教習原簿に書かれているので事前にどんな所が見られるのか確認しておこう。第一段階と同じように、卒検前に効果測定もパスしておく必要がある。

卒業検定

卒業検定は一つの車に2~3人の教習者が乗り、途中で交代して運転する事になる。検定コースは3つ用意されているが、検定前に集められて行う試験説明時にどれを走るか伝えられ、地図を渡される。この時、路上での試験を終えて場内へ戻って来た時バックでの方向転換と縦列駐車のどちらが行われるかも伝えられる。卒検でも「次の交差点を右に」といった指示があるのでコースを完全に暗記しておく必要は無いが、進路変更のタイミングなどは指示して貰えず、自分できちんとできているかが採点対象となるので覚えておく必要がある。

「その辺で停まってください」と指示され路肩に駐車するが、この時の駐車場所は「交差点とその端から5m以内」「横断歩道や自転車横断帯とその端から前後5m以内」「駐車場、車庫などの自動車用の出入り口から3m以内」などの学科で覚えた駐車禁止場所をきちんと守ろう。路上教習時に駐車ポイントは教えてもらえるけれど、もし卒検本番でその場所に他車が駐車していた場合などはこれらの条件に当たらない場所を自分で判断して駐車する必要がある。

正直な所、卒検で受かるか落ちるかは運次第な所が大きい。なんのイレギュラーも発生せず無事に終える人もいれば、歩行者が飛び出して来たり、駐車車両で進路が塞がれていたり、対向車が信号無視したりしてくる事もある。助手席の教官が補助ブレーキを踏めばその時点で失格、検定中止になる。なので祈ろう。止まれの標識見落としたり踏切で安全確認せず進行したりするのは論外だけれど、何か想定外の事態の後だとパニックになって気が回らない事もある。信号無視、踏切での安全確認違反、一時不停止などもその場で即時検定中止になります。

ボクの時はじいちゃんが車道の真ん中をふらふら自転車で走り続けてて、教官も苦笑いしてた。あとこれもまたじいちゃんが横断歩道のない場所で飛び出して来たりしたけど、この時は事前に極度警戒(しなさい)で減速していたので無事停まれた。

卒検の運転が終われば、ほかの教習生が試験を終えるまでまた待つ事になる。ボクは受験番号1番だったため、終了後1時間以上待つ事になった。全員の試験が終わればまた修了検定の時のように、合格者の番号が発表される。仮免と違い、本免の学科試験は居住地の免許センターで受験するため教習は全て終わり、そのまま卒業式となる。卒業式と言っても校歌を歌ったり卒業生代表が挨拶をするわけではなく、書類を受け取って説明を受けるだけの事が多い。うちの学校では校長が延々と自分語りを始めたので中高の卒業式を思い出した。ここで受け取った卒業証書が免許センターでの本免試験時に必要になる。卒検に落ちた場合、1時限以上の補習を受けた後に再受験する事となっている。補習料、試験料に加え、合宿生の場合延泊料金を払ったり、帰りのチケットを取り直したりする必要があるので卒検はかなり緊張した。

こうして2週間の免許合宿を終え、香川から帰ってきた。2週間で食べたうどんは約10食。うどんの相場はかけが中サイズ(2玉)330円程度。味は比肩するうどんが無いほどの素晴らしさでした。

早くMT車乗らないとクラッチ操作忘れそうで怖い!ロードスター買いたい!

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2019.3.8

 

 

『礼儀正しい国』:キノの旅ファン小説

 

礼儀正しい国

ーOur rule is our commonsence.ー

 

草原は春の陽光を浴びて、色とりどりの花で埋め尽くされていました。細く澄んだ川に沿った道を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていました。運転手は十代中ごろの若い人間でした。黒い髪の上に鍔と耳を覆うたれのついた帽子をかぶり、ところどころが禿げた銀色フレームのゴーグルを着けていました。
「もうすぐだね」
「次に行くのはどんな国なの?」
「とても美しい国だと聞いた。この時期はサクラという花が満開で、その花びらが吹雪のように舞っているんだって。それにー」
「それに?」
「ご飯がとても美味しい。」
「そればっかり」

 

地平線の向こうに白い城壁が見えました。太陽の光を反射して、城壁と瓦がきらきらと輝いていました。
「キノ、ここかな?」
「ああ、本当に美しい...」
堀に渡された橋をゆるゆると渡り、城門へと入っていきました。
「ようこそ我が国へ!旅人さんですね?」
「はい、三日間滞在する予定です」
「武器はお持ちですか?」
「ナイフとパースエイダーがあります」
「国内では周囲を威圧しないよう、隠していただければ持ち込んでいただいても結構です。我が国の治安はとても良いので、使う機会はありませんが。どうぞ、手続きが済みましたので、ご入国ください」
「「ようこそ我が国へ!」」
事務所にいた全員が全く同じ角度で深々とお辞儀したので、キノは少し驚きました。

 

街は大変静かでした。キノを見かけた人々はみな、静かにお辞儀しました。
「ここではお辞儀が挨拶なんだね」
モトラドもお辞儀出来たらなあ」
「通りも静かで綺麗だ」
「ま、酔っぱらいにべたべた触られるのはもう勘弁だね」


物価はあまり安くないので、キノはレストランではなく居酒屋で夕食を取る事にしました。店に入るなり上着を脱ぐよう促され、「上着は食事の間にクリーニングし、モトラドもピカピカに洗車する」と説明されました。

「入れたり作れりだね、キノ」
「・・・至れり尽くせり?」
「そうそれ」

旅人のニュースは国中に知れ渡っていたので、キノもスーツ姿で飲み会をしているグループにお呼ばれしました。
「やあ旅人さん!この国はどうです?」
「とても美しくて、静かな国ですね。それに食事も・・・この生の魚もとても美味しいです。素材が良いんですね」
「治安も良いし、望むならいくらでも滞在していってよ!」
「よっ、俺も混ぜてくれよ。俺はタクミ、今日は無礼講だからな、楽しもう」
「ブレーコー?」
「礼儀を気にしなくて良い場って意味さ。普段は礼儀を大切にする国だから、たまには息抜きが必要なんだ」
「確かに、この国に入ってから皆さんの丁寧な態度に驚きました」
「そうでしょうそうでしょう、それがこの国の良いところ、他国にない伝統ですからね。ささ、一杯どうです」

 

「貴様ぁ!何やっとるか!」
唐突に怒声が響き渡りました。見ると壮年の男性の前で若い女性が土下座しています。
「申し訳ございません、どうぞお許しください」
「貴様は上司への敬いというものが無いのか!」
そうだそうだ、と周囲も便乗して女性を責め立てます。
彼女はひたすら泣きながらひれ伏していました。

「あれは?」
「ああ、彼女がマナー違反をしたんです」
「多分ビールを注ぐときラベルを下に向けたんじゃないかな」
「そんな事まで決められているんですか?」
キノは驚いてたずねました。
「ああ、法律みたいに明文化されてるわけじゃないんだけどね。一般常識さ」
罰として女性はお酒を何杯か一気飲みさせられ、トイレに行ったままお開きまで戻ってきませんでした。

 

二日目、ピカピカになったエルメスに乗ってキノは買い物を済ませ、ホテルに帰ると言付けが届いていました。
「明日朝10時  河原通公園で待つ」

 

三日目の朝、指定された公園へ向かうとそこにいたのは飲み会で話をした男性でした。息をのむほど美しい桜吹雪の中で、もだえ苦しむような顔をして、立っていました。

「旅人さん、私をここから連れ出してください!」
男は泣きそうな顔でそう懇願しました。

 

「この国では昔から礼節を大切にしてきました。伝統を守る素晴らしい国でした。ここ十数年の話です、あのマナー講師というのが現れたのは」
男は忌々しそうに吐き捨て、続けました。
「彼らは次々と新しい”マナー”を作り出していきました。皆が知らないマナーを教えなければ食べていけないので、その時々の思い付きで新たなマナーを”常識”に組み込んでいったんです。

この国の人々には主体性がありません。多数派の思想が国のルールになってしまうんです。例えばこのモトラドさんを指さしてみんなが「これはホヴィーだ」と言えば、この国ではそれはホヴィーという事になってしまいます。王様の言葉ですべてが決まる王政の国がありますよね?王様のひと言で黒が白になるほど強い発言権を持つ。」
「ええ、そういった国も見たことがあります。」
「この国は国民が王である絶対王政なんです。王が一人の国と違うのは、その決定に責任を持つ者がいないため、どんな滅茶苦茶な事が決まっても誰のせいにもできないのです。強いて言えば、私たち国民の責任ですね。こんな息苦しい国には耐えられない、もう限界なんです。」
「ご自分で国を出る事はできないのですか?」
「そんな事をすれば残された家族が村八分にされてしまいます!」
村八分?」
「社会からのけ者にされるって事」
エルメスが付け足しました。
「国から逃げ出すのではなく、新しい仕事として旅人さんのお手伝いという形なら逃亡者とはされません。どんな事でもしますから、私をお供として連れ出してください!」

キノは少しの間躊躇いましたが、はっきりいう事にしました。
「申し訳ないのですが、それはできません。ボクのモトラドに二人乗りで旅は難しいですし、あなたを連れて行く余裕はありません。」
「あ、ああ...そうですよね。私は...失礼しました。自分の事しか考えずに...やはりこの国の人間としてあと何十年か耐えて生きねばならないのですね。」
がっくりと膝をつき、男はうつろな顔で呟きました。

そんな中能天気な声で口を開いたのはエルメスでした。
「でもさー、さっきおっちゃん「次々と新しいマナーが作られていく」って言ってたよね?」
「・・・? はい」
「じゃあさ、自分でもそういうの作っちゃえば良いんじゃない?おっちゃんみたいにマナーにうんざりしてる人が沢山いるなら、多分みんな乗ってくれるよ」

エルメスの言葉を飲み込むまで少し沈黙しましたが、男の顔はみるみる明るくなっていきました。
「そうか・・・その手があったか!駄目で元々、やってみるしかない!ありがとうございます!」
男は繰り返し感謝の言葉を述べ、軽い足取りで帰りました。


草原の真ん中をモトラドがばばばばばばと走っていきます。
運転手の服についていた桜色の花びらがひらひらと舞い落ちました。
「ねえキノ、あのおっちゃん上手く行ったと思う?」
「わからない・・・。でも、国を変える事が出来るのはその国民だけだ。
ボクたちにできるのは、せいぜいアドバイスするくらいだね。」

 

 

 

その後、この国である本がベストセラーになりました。
『あなたのマナーはもう古い?世界の新常識~大切な事は旅人が教えてくれた~』

 

 

 

2019.2.14

ミニTale『人類が滅びた日』

お風呂でぼーっとしている時にふと思いついたネタを文字に起こしました。

わざわざTaleとして投稿する内容でもないのでブログに。

 

 

 

 

2032年6月20日、人類の滅亡が確定した。

無差別にワープを繰り返していたチュルプ星人は火星と木星の間にワームホールを開き、偶然出くわした地球を金持ち向けの狩猟地とする事に決めたのだった。

これだけ小さい惑星に70億もの文明種がひしめき合っているのは珍しい。相当息苦しい生活を送っているのではなかろうか。すぐに数を減らしてより伸び伸び暮らせるようにしてやるさ、とチュルプ星人の一人が呟いた。

この星の技術レベルはかなり低く、宇宙への進出はごくごく初期段階のようで、我々へ噛みつく心配はほとんどない。まさに狩場として理想的であった。

まずは下地作りとして、地球上の兵器が無力化された。特に気になったのは異常に大量と言える熱核兵器だ。全て爆発すればこの星が3回は消滅する量だったが、何を目的としてそんな量を保有していたのかチュルプ星人には理解が困難だった。

この程度の兵器は彼らの個人用防護服にとってさえ爆竹程度の破壊力だったが、一発爆発するだけで数万の地球人が死んでしまう。ハンティングツアーの相場が100人殺して6万ケピアなので商売上看過できない量だ。

軌道スキャナーで核兵器の位置を特定してから電磁パルスで起爆装置をキルするだけなので、対処は容易だった。現地語でSCP財団を呼称する組織が非常時に備え種の保存を目的とした脱出船(SCP-2237)を用意していたが、わが船の自動迎撃装置がビームで蒸発させてしまった。植民先までプログラムされていたから放っておけば将来の狩場になったはずだが...。当然火器管制責任者は叱責された。

さて、あと数日でチュルプ星と地球との定期航路が開き、ハンティングツアーの客が押し掛けるはずだ。これから舞い込んでくる莫大な売り上げを思うと頬が緩む・・・

 

 

 

 

 


2032年6月20日、この宇宙の滅亡が確定した。

地球へ特異点的に集中していたあらゆるSCPオブジェクトが解放され、この宇宙は泡がはじけるように消滅した。この星にだけなぜそれだけの異常存在が集まったのかは誰にもわからない。

少なくとも、地球という小さな星がこの宇宙のキーストーンになっている事をチュルプ星人が知らなかったという事だけは確かだ。

 

(終わり)

 

・補足

キーストーン種:生態系において比較的少ない生物量でありながらも、生態系へ大きな影響を与える生物種を指す生態学用語。生態学者のロバート・トリート・ペインによって提唱された概念。

例として

北太平洋岩礁潮間帯のヒトデ (Paine 1966)
当該地域の岩礁には、複数の生物が生息している。フジツボカルフォルニアイガイは、共に同じ固着面を奪い合う同じ生態的地位を占める競争状態にあるが、両者の捕食者であるヒトデが共存している場合は、競争排除は起こらなかった。ヒトデを人為的に排除すると、イガイが岩礁の殆ど面を占有し、他の多くの生物が減少した。このことから、この系ではヒトデがキーストーン捕食者であると考えられる。
北太平洋沿岸のラッコ (Estes et al. 1998)
北太平洋沿岸では、1990年代にラッコの減少に伴い、その餌となっていたウニの個体数が増加した。ウニがジャイアントケルプの仮根を食い荒らしたため、ジャイアントケルプの海中林が破壊され、生物群集に影響が出た。

などが挙げられる。