映画『ドクター・ストレンジ』は見る幻覚剤

映画『ドクター・ストレンジ』やっと観ました。時折話しているように、実は二年前にサイゴンへ行く機上で観たのだけれど残り30分という所でタンソンニャット空港に到着してしまい観終われず。それから2年間ずっと心の片隅にもやもやした部分を抱いて生きていました。すっきりしたぜ、イェイ!

 

さて、この映画は基本的に幻覚剤のトリップが表現されています。作中で幻覚剤を使う場面はないけれど、そもそも映画自体の構成が幻覚剤経験者なら「あ、これスタッフサイケ経験者だな」とニヤつける作り。後述するけど製作者側も作中で匂わせています。

 

以下の文章は映画のネタバレを大いに含みます。スポイルされたくない方は映画視聴後にお読みください。

 

さて、作中で一番露骨に「幻覚剤っぽさ」が出るのはカマータージでストレンジが初めてエンシェント・ワンと出会う場面ですね。ストレンジも「幻覚作用のある茶を飲ませたのか?」と言っていますが、あそこは多分エンシェント・ワンの言う通りただのはちみつ入りのお茶だと思います。エンシェント・ワンにどつかれて一瞬アストラル体が物理的な身体から抜け出す体外離脱体験、そしてその間時間は非常にゆっくり流れます。これはDMTなどの幻覚剤で頻繁に経験されます。身体に戻ってからまだ懐疑的なストレンジはさらにエンシェント・ワンの力で異世界に吹っ飛ばされます。

まるで『2001年宇宙の旅』のスターゲートのような場所を通り抜けてから色々と異様な光景の中を漂うストレンジですが、ここはまあ普通に想像できるいかにもなサイケデリックの世界でしょう。幻覚剤の中でも、あの世界はLSDよりDMTやサルビノリンに近いような気がします。

劇中の幻覚剤的描写はこれだけにとどまりません。まず、魔術師同士が街中で戦うシーンが何度かありますが、あの際に変形させられる街中のビルなどの姿は幻覚剤の幻視に大変良く似ています。建物が波打ち、歪み、ねじ曲がりながら有機的に変形していく様子は実にLSD的です。LSDやDMTは身体感覚を歪めたり無くしたりするため、劇中のように重力への不信感が生まれ上下がわからなくなったりします。教会の窓は万華鏡のように七色の光が踊っています。また、風景のどの部分も静止する事なく常に動き続けているのも幻覚剤での幻視を思い起こさせます。

この戦闘シーンで世界の向きを変えられたストレンジがバスの"横に落ちる"のですが、その際車内でおじいさんが「こりゃ傑作だ!」と笑いながら読んでいるのが『知覚の扉』。『知覚の扉』は『すばらしき新世界』などを書いたイギリスの作家オルダス・ハクスリーの著書で、ペヨーテサボテンに含まれる幻覚剤メスカリンを使用した時の体験レポートになっています。見逃しそうな一瞬の小ネタですが、これが映画『ドクター・ストレンジ』は幻覚剤を意識して作ってますよ〜という制作陣からのメッセージですね。

さて、自然の理を犯す時間操作の秘術を身に付けたストレンジが暗黒次元のラスボス、ドルマムゥと対決する訳ですが、この場面も大変幻覚剤的です。この場面で扱われているのは時間のループ。これはDMTを始めとして多くの幻覚剤で現れ、しばしば恐怖心を抱かせます。強大な力を持ちとてもまともに戦えないドルマムゥを相手にストレンジが使った作戦が、この時間のループでした。

「取引に来た」というストレンジですが一瞬でドルマムゥにひねり殺されます。あっけないです。しかし次の瞬間に時間が戻り、再び「取引に来た」と言いながら歩いてくるストレンジ。ドルマムゥは先ほどと同じセリフではねつけようとしますが、「何かがおかしい…?」と気が付きます。この時点ではデジャヴ程度ですね。同じ事を何度も繰り返し、その度にストレンジは呆気なく殺されるのですが次の瞬間にはまた元のように歩いてくる。ここで初めてドルマムゥは恐怖を抱きます。

暗黒次元という世界そのものから力を得ているドルマムゥは不死です。しかしながらこのままでは無限にループにとらわれ、永遠にただストレンジを殺す事だけを繰り返す事になってしまいます。ここでドルマムゥは根負けし、「何が望みだ」とストレンジに対して折れる事になります。ストレンジの出した条件は、「地球にもう手を出さない事、ドルマムゥの下で暴れまわっているカエシリウスらを地球からつまみ出す事」でドルマムゥがこれに応じ、ストレンジは見事地球を救います。

幻覚剤で現れる時間、世界のループは体験しないとわからない恐怖があります。それは死すべきものである人間が通常味わう事のない無限への恐怖、世界から切り離される孤独です。

さて、こうした点でこの映画『ドクター・ストレンジ』は、恐らく幻覚剤の経験者と非経験者では全く受け取り方が違うんじゃあないかと思いながら観ていました。面白かった(小並感)