幻覚剤による「生まれなおし」経験:ネオ鏡像段階という概念の提唱

幻覚剤によるトリップの経験者が、「もう一度生まれなおしたようだ」と語る事が多い。目に映るもの全てが新鮮に思え、ただ散歩するだけでも世界の美しさに感動するものだ。

私は、これが鏡像段階の再経験に起因すると考えている。そのためにまず鏡像段階について説明しよう。鏡像段階はフランスの思想家であり精神科医ジャック・ラカンによって提唱された概念である。多くの動物と違い、人間は自分の身体すら満足に動かせない非常に未熟な状態で産まれてくる。そのため、出産直後の赤子は我々の持つ、所謂自我というものを持たない。ではどのようにして自我を獲得するのだろうか?

ラカンはこの自我獲得が「鏡に映った姿」を通して修得されると主張した。ここでいう鏡は文字通りの意味ではなく、メタファーである。

自我を獲得していない赤子は自身と他者の違いを知らず、区別する事がない。自分の身体がどのような姿をしているかも知らない。鏡を見るまでは。

多くの赤子が初めて触れる他者は母親だろう。勿論その他のケースもあるが、ここでは「人生の最初期段階において最も密接に接触する人物」という意味で母親という語を用いる事とする。

赤子にとって、目に映るすべての物は等しく意味を持ち、また等しく無意味である。それは各オブジェクトを命名し、優先順位を付ける能力を持たないからだが、オブジェクトの命名という行為には各オブジェクトの差異を特定し、分類する事が必要となる。出産直後の赤子はそうした区別を持たない。

さて、私はこの状況が、幻覚剤によるトリップの状態と非常に近いと考えている。幻覚剤によって身体感覚を喪失した人間は、自他の境界を見失い、宇宙の事物全てが溶けあう様子を知覚する。こうした幻覚剤によるトリップを「死の疑似体験」と呼ぶ事がしばしばある。「死」という言葉を使うと「人生を終えた後に訪れる生を持たない状態」という意味を帯びるが、あくまで「生を持たない状態」と考えれば、これはこの世に生を受ける前の赤子と同じ状態だ。

即ち、幻覚剤によって生を失い、この世に生を受け、自他の境界を探りつつ自我を獲得するプロセスはまさしく赤子がこの世に生を受ける段階と等しい物なのである。これを「生まれなおす」体験と表現するのは的を得たものに思われる。

では、その自我をどうやって獲得するかに話を移そう。赤子が自我を獲得する手段は「同一化」である。発達の初期段階において自他の境界を持たない赤子は、まず母親の姿を見て自分の一部と考える。母親がいないと不安になって泣くのは、自身の一部を喪失しているためである。

「私は私である」という意識を養うのは、自身の姿を認める母親の目を通して行われる成長である。母親は繰り返し、「お前はジャック(ここには当人の名前があてはめられる)だよ」と語りかける。初めはその意味を理解できないが、次第にその語りかけが「私であるジャック」と「私ではないもの」の区別を生み出すのだとわかりはじめる。これが赤子にとって初めての、世界の物事の切り分けである。「お前はジャックだよ」という語りかけは、即ち「私はジャックではない」という母の言葉であり、それまで母と自身が同一の存在であると思い込んでいた赤子の考えを否定する事である。この時点で、それまで母親と同一化していたジャック君は「母親がジャックと呼ぶもの」に同一化するよう切り替える。これはあくまで母の目に映ったジャックというものを対象とした同一化であり、自分そのものを見ながら行うものではない。人間は鏡なしに自分の顔を見る事が出来ないため、ここでは母の目という鏡に映った自身の像に同一化を始める。これが鏡像段階である。

幻覚剤のトリップはこれに近いが、同一化する対象が「母の目を通した私」ではなく「私の目を通した私」である点において異なる。成人した我々は既に自己イメージを獲得しており、幻覚剤でのトリップによって一時的にそれを手放す。鏡像段階の赤子は「母親を通した私」を足掛かりに自我を作り上げるが、幻覚剤でのトリップにその母親はいない。トリップからの回復段階で、正気に戻りつつある人間は自己イメージを少しずつ取り戻し、「私」がどのような形をしているのか自己参照する。これは構造としては鏡像段階に近いが、参照する先が「他者の目を通した私」ではなく「私の目を通した私」であるという点で異なり、これをネオ鏡像段階と呼びたい。

ネオ鏡像段階において、自我の再獲得と同時にメタ認知の再獲得も行われる。「私は今、「私の目を通した私」を参照しながら自我を取り戻している。」という認識は、本来の鏡像段階では得られない過程である。この経験が幻覚剤の使用者に対し、事物の存在についてのより深い考察を与えるものだと考える。即ち、境界が存在しないと思われた自己イメージを取り戻す過程をメタ認知機能によるある種第三者的な視点で観察した経験から、物事の境界を定める過程についてそれと比較しながら考える能力を身に付ける為である。

以上、幻覚剤使用者が報告する「生まれなおす」経験について考察した。幻覚剤の使用後数日以上続くこの感覚は薬理的な影響で与えられるものではなく、トリップ中に経験するネオ鏡像段階に起因すると主張するものである。

 

2019/4/3